『生まれ変わりの村1』が出来るまで(1)
要旨:
これまでの中国紀行で、7年にわたって10回、生まれ変わりの村を訪問して調査を続けてきました。その取材内容を本として出版することにしました。
まず始めにやったのは、これまでに出版されてきた他の生まれ変わり関係の本を読んでみることでした。それらを読んで分かったのは、前世のことを覚えているという人はいても、あの世の体験記憶を持っている例は皆無であるということです。
私が生まれ変わりの村の本を出したら、宗教の教祖や各界の著名人達に送って意見を聞きたいと考えています。一番聞きたいことは「私たちは何のために生きるのか」「私は誰か」ということです。
私は生まれ変わりの村の本を、事実のみをそのまま載せたデータ本として出したいと思っています。世に出ているのは大半が解釈本です。それは現在生きている人が、どういう生き方をすれば良いのかなどについて書かれている本です。
データ本は、自費出版で出すことになります。ほとんど全ての出版社は、売れ行きが期待できる解釈本でなければOKを出さないからです。
自費出版の目的は他にもあります。まず、絶版になったり出版社そのものが潰れたりしたために、本が出回らなくなる事態を避けるためです。世界にずっと存続する本にしなければならないのです。
もう一つは、データ本の情報に関わるあらゆる権利を私が保有するためです。データと証言者達を守ることが出来るようにです。
多くの人達が、「世の中を変えよう」というメッセージを発信しています。しかしデータ本では、取材した事実を並べるだけです。人は説得によってではなく、事実に基づいた情報で変わると思うのです。生まれ変わりのデータは「世界を変える」というよりも、スタート地点に戻すことになるのではないかと思います。
ここまでで集まった生まれ変わり村の証言は84事例です。他の前世記憶に関する本の事例数と比べてもかなり多いです。そしてこれから先の調査でも新しいデータが沢山出ると思います。どんな事例が出てくるか分かりません。それに、私の取材に応えて体験を語ってくれた人達は、解釈されるために証言したわけではないのです。
あの世についても輪廻についても何のデータも無いまま、解釈だけのカルマ論が広まっているのが現状です。
だからこそ私は、生まれ変わりの調査データは解釈抜きで出したいです。
いよいよ「生まれ変わりの村」を本にしようかと思い、動き始めました。動いたといっても、生まれ変わりの関係の本を読んだだけです。
『前世を記憶する子どもたち』『前世療法』『未来世療法』『生きがいの創造』、あと、江原さんの本を一冊・・。
多くの本が催眠術系ですね。私も「催眠術退行実験」を経験したことがありますが、これから「生まれ変わり現象」は証明しづらいです。
でも生まれ変わりの村の取材は、現在84事例集まっています。『前世を記憶する子どもたち』は12事例なので、こちらの方がかなり多いです。
そして『前世を記憶する子どもたち』には、あの世に関する情報は無いのです。本の記述を借りるなら、「前世で死亡してから現世で生まれるまでの間に起こった出来事については、ほとんどの子供が語るべきものを持っていない。この種の子供たちの記憶は、その間は全くの空白になっているのが普通である。」
つまり、あの世に関する情報は、世界中で皆無に等しいのではないかと思います。
『不思議の友16』に書いた有名な言葉があります(笑)。「世界を変えるのに説得する必要がない」・・以下は原文です。
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ところで生まれ変わりの村には、なぜこんなに生まれ変わりの人が多いのだと思いますか?
それはこの村には伝説があるのです。
「スープを飲むと前世を忘れる」・・という。
つまりたったこれだけのフレーズが、この周辺の人たちを変えてしまったのです。
フレーズを知っている人は、あの世に行ったとき、すぐに気が付きます。
あれがスープ・・だと。
だから私の質問に対して
「スープって、何のことですか?」
という質問は、ひとつもありませんでした。
伝説とは情報です。情報が彼らを変えたのです。
ところで世の中を変えたいという人は、とても力んでいるように感じます。人のために尽くしたり、資源を節約したりすることを提案してきます。自分の欲望に制限をかけてコントロールしなければならないようなことばかり言います。時にはスローガンを掲げたりします。
でも私は単に、取材した事実を並べただけです。
人を説得する必要があるのは、事実に基づいたデータが無いだけだと思います。
生まれ変わりの村の周辺は、すでに変わりつつあります。
審判を下す神様はいない・・
カルマは存在しない・・
こういうことが、自動的に広がりつつあります。
そこで集めた情報が広がっている日本は、将来とても変わるかも知れません。それも自動的に・・。
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つまり「世界を変えよう」などという運動をする必要は全くないということです。世界は自動詞でしか動かないと思うからです。
>人を説得する必要があるのは、事実に基づいたデータが無いだけだと思います。
全くこの通りだと思いませんか?
しかし・・私のデータは事実ではあれ、真実ではないかも知れません。
生まれ変わりを書く多くの本は、自分こそ真実だと書いています。例えば『前世療法』(ワイス博士著)もそうです。まえがきにはなんと、ガリレオの話まで書いてあります。つまり自分の本こそ地動説だと・・。
生まれ変わりのデータは、これからも新しいものがどんどん出ると思います。実を言えば、私はその全てが事実ではないかと思うのです。神が仕組んだ事実です。
神は手強いです。おみくじ一つで、神が未来を明かすと思いますか?
生まれ変わりの村の情報もそうです。入り口に立っただけだと思います。それで世の中が変わるとは思えません。
「あなたならどうする?」と訊きたいのです。それは何も出来なかった子羊が、一つの情報を得たというとき、どうするかです。
子羊どころか、人間はゴキブリとも同じだった(ごめんよ、ゴキブリ君)。
「カルマ」とか「試練」という言葉は、人間を上の世界に位置づけています。そしてもっと上に行こうという思想です。
しかしとんでもなかったのです。人間はゴキブリと一緒でした(サル以下どころじゃない(笑))。
「カルマ」とか「試練」という言葉は四億年早い・・。なぜなら「カルマ」とか「試練」という言葉は、自由を取り戻してからの話だからです。
生まれ変わりのデータは「世界を変える」のではなく、やっと「スタート地点に戻す」のだと思います。
生まれ変わりの村の事例は84人です。7年間で、10回訪問した結果です。
二年ほど前、ホームページを見たと思われるテレビ局が「費用は持つから同行させてくれ」と言ってきました。どうも、行けば簡単に取材できると思っているらしいです。
おそらく連れて行けば、それで全ては終わると思います。
彼ら(村の人達)を否定するのは簡単です。チグハグな部分だけ抽出して放送すれば良いからです。
ぶり返しますが、ちょうど二年ほど前、生まれ変わりの村の情報を『不思議の友』から抜粋して自分の本に載せた人がいました。カルマを証明する内容として・・。
抗議の手紙を出したら、「真実はまだ分からないんだろう? だとすればデータをどう解釈しようとこっちの勝手じゃないか」という返事が、秘書から来ました。
データをどう解釈するか・・それは意外にも、カルマ論からも可能だったのです。
これは私の中に、大きな教訓として残りました。つまり生まれ変わりの村全体が、そういうカルマとして生きてしまっている・・という解釈も成り立ちます。例えば病気になるのもそういうカルマだ・・と。
解釈としては、何でもアリだと思います。
つまり今度の本は、360度の可能性を持っているのです(笑)。誰にだって聞けるし、どんな質問も出来るし、どんな答え方も出来る・・。
もうここまで書くと分かると思いますが、今回の本は『生まれ変わりの村』としては第一作で、それは問いかけで終わるのです。既存の常識に対してどこまで問いかけられるかが、この本を書く私の力量になります。
それはもちろん、ここを読んでいる皆さんへも、問いかけることになります。
84人というのは、多いか少ないか? 学生時代で言えば2クラス分です。やはり多いと思います。
7年で84人です。地道な作業です。今それを誰かが出来るかと言えば、出来る人は少ないです。なぜなら、調査人とて、食べていかなければならないからです。
大学教授ならば食べるのには困りませんが、たぶんこの研究は出来ないでしょう。そしてどの学科の教授がやるのでしょうか?
民間だと、この調査からは利益が出ません。
テレビ局はスポンサーが付きますが、7年、10回という長期スパンに、スポンサーの「予算制度」が追い付かないでしょう。
それは僧侶とて同じです。あの世についていろいろと言っていますが、自分で調べることはかなり難しいと思います。
そういう意味でも、否定すると言う人も、非常に興味があります。
私の勘では、「個人見解」と「公にする見解」は違うような気がするからです。
生き方本というのは、あの世をどう解釈するかが問題なのだと思います。「あの世」という単語が書いて無くても、暗黙のうちに解釈していると思います。
ビジネス書にしても同様だと思います。あの世を含めたシステムを勝手に解釈して、それぞれが生きているのだと思います。
大概の人は、「人生を全うすれば良い」と思っています。これも、あの世を勝手に解釈していると思います。
ところで、生まれ変わりに関する本を色々読みました。
『前世を記憶する子どもたち』は科学者が書いた本で、私には一番面白かったです。彼はバージニア大学医学部の教授です。
その中に、カルマに関する記述があります。彼が言うには、カルマという考え方は現世に対する責任回避だと言うのです。現世での不具合を、過去のせいにするからです。
おそらくアメリカには、カルマという考え方は無いのだと思います。
つまり、あの世は自分の思想の隠れ蓑だということです。
これは『生まれ変わりの村』の本が出ることで、「隠れ蓑」が次第に少なくなるのではないかと思います。
逆に言えば、自分の思想の隠れ蓑があった時代は、幸せな時代だったとも言えそうです(笑)。
そこの事実が明るみに出ると、隠れ蓑に利用していた人達は、考え直す必要が生まれてくると思います。といってもほんの一部でしょうが(笑)。
生まれ変わりの村の情報は「カルマが無い」とか言われていますが、そうとも言い切れないと思います。カルマが無いことを証明するのは非常に難しいはずです。カルマですら、間接的かも知れないからです。
また、生まれ変わりの村の情報は、多方面から考えることが出来ると思います。例えば物理的側面・・。例えば脳が無くても記憶が続くという、医学的側面・・。例えば性差の側面・・。
これを取り扱う人の知識と興味の広さが試されている感じもあります。つまり360度開いていると言いたいのです。
なのにカルマを否定するための本を書くのは、非常にもったいないです。
実を言えば、84事例を読んだところで、我々は何も分かっていないということに気付かされます。なのに・・世の中の、生まれ変わりを扱った本は、なんと結論の多いこと・・。
私の本は、そこからは遠ざかりたいと思っています。私はあくまで雑用係・・。
問題は、そういう本が売れるか・・です。
生まれ変わりの村のデータ本(のちに「生まれ変わりの村1」という本の名前になります)は、自分で出すことにしました。
目的を列挙すると以下の通りです。
●絶版にしたくない
売れ行きはどうなるか、全く分かりません。普通の出版社ならば売れなくなれば絶版になります。
以前『不思議の科学』を出していた同朋舎が潰れたとき、勝手に角川書店に身売りされました(笑)。そこから戻すのが結構大変でした。
今回の本は、世界にずっと存在させたいのです。
●多くの権利を私が保有したい
今後科学の発展と共にメディアも変化するでしょう。
本の時代はいつか終わるかも知れません。
それらに対応するため、私が権利を保有しておきたいのです。
それでこそ証言者達を守ることが出来ると思います。
●次に出す本の自由度を高めたい
今回最初に出すデータ本の名前は『生まれ変わりの村の事実』にしたいと思います。これは『NHKスペシャル』をもっと真面目にしたような本です(笑)。
次に出す本は「これが生まれ変わりの村の真実だ!」でも構いません(笑)。しかしこれだと民放の鳴り物入りの特番そのものです(笑)。でも最初にこれを出してしまうと、私は叩かれて終わりです。
でも私は最後には好きなように撃って出たいです。そのためにも、最初は「事実列挙本」が必要なのです。
●出し続けること
これからも生まれ変わりの村の調査は続くでしょう。一巻目が売れなくても(泣)、二巻目も出し続けたいからです。
誰のためかって?ここまで意地になると(笑)、自分のためとしか言いようがありません。
私は命式で見ても面相で見ても、「出費が多い」と出ています。しかし今回の件は、時空から見れば出費かも知れませんが、私はそうとは考えていません。
証言者達を思い出すと、私には解釈本だけというのは書けないのです。彼らは私の解釈のために証言したわけではないのです。
でも私には、既に選択肢は無いのです。自費出版の目的を幾つか挙げましたが、本当はそんなことはどうでも良いのです。私には、出すしかないのです。
自費出版は、本を出版社が刷るのか、著者の会社が刷るのかで分かれます。個人の著者は前者が多いですが、今回私の場合は後者です。
前者の場合は売れないときのリスクは出版社が負います。後者は著者の側が負います。
後者の場合は自分自身が出版社になるような感じなのです。つまり書店に流通させるための「出版コード」というのを出版社から借りるだけなのです。
借りる費用として通常は売り上げの10~15%を払います。
自費出版のメリットの一つが「宣伝」です。これは意外だと思われる人も多いと思います。普通は逆です。大手の出版社に乗れば、宣伝費は不要・・。だからシロートは甘い(超笑)。
あのですね・・「自費」意外の場合は、自分で宣伝してはいけないのです。もちろん「基本的には」・・という前置詞が付きますが・・。
だって私の本の場合だって、私のメルマガや『不思議の友』による功績は大きいです。でもそれは「宣伝」ではなく「記事としての紹介」という位置づけです。記事による紹介は許されているのです。
しかし私自身が新聞にデカデカと広告を出すことは、基本的には出来ません。
データ本が自費ということで発行されれば、その制限が無くなります。
さらに自費ならば権利を全て私が保有できます。
今回の本だけがこうなったのは、ひょっとすると時空の計らいかも知れません(笑)。
もしくは私の問いへの結果かも知れません。
証言者の一人ひとりが誰の手にも渡らず、100%私に残るのです。まるで他の人のところに行くのは嫌だと言っているようです。
彼らは一回死んできたのです。こんな貴重なデータがどこにあるでしょうか。
これは日中間の問題でもあります。中国人の証言者の内容が日本人の生き方だけを良くすることに使われたら、やはりそれは良くないと思います。
これは世界的規模の情報だと思うのです。世界中の人に知って欲しいとさえ、思います。生のデータを・・です。キリスト教やイスラム教の人にも知って欲しいです。
だとすれば、生データしかあり得ません。
「生まれ変わりの村」の情報を単なるデータ本として、しかも自費出版のような形で出すという話のために、今日ある人に来てもらいました。彼は精神世界系の雑誌の記者をしていた人で、私のことをよく記事に書いてくれていました。
2時間近く喋りました。問題点も多々あるのですが、出来るところから始めてみようということになりました。
私は言いました。「年末なのに突然入った話で忙しくしてしまって申し訳ないです。」
「そんなの関係ないです(笑)。」
そういえば今日はイエス・キリストの誕生日です。そういう記念すべき日に「生まれ変わりのデータ本」の実質的なスタートが切れたことは、歴史に対する「上書き」の意味があるのではないかと思いました(笑)。
年末に新しいことを始めるって、なんかとても気分が良いです。
(彼は吉田さんと言いまして、「生まれ変わりの村1」の編集者になる人です)
死ぬのが恐くなくなったとかは、よく考えてみれば、どうでもいい(と言い切るわけではないが)問題だと思います。もっと恐くなったとしても(笑)、真実の方が大事です。
私は三歳の時、初めて体脱(臨死体験)をしました。
そしてバイクに乗るようになってから、事故のために三回の手術をしています。そこで、まばゆい光の体験をしました。どうもそれは、手術室の照明ではないかと思っています(笑)。
手術室の照明は、UFOにも似て、自分をライトアップさせるような照明です。ちょっと目を開けていられないくらいです。なので、目をつむっても光を感じます。
臨死体験の多くは手術室で起こっています。ということは、この照明ではないかと思うのですが・・。
さらに、あの麻酔というのは、本当に気持ちが良いものです。交通事故の二度目の時は、手術中に麻酔から覚めてしまいました。医師は手を切開して、何か作業をしていました。全く痛みは無いどころか、触られている所が快感すら感じます(笑)。
関係ないけど、私はブラジルまで行って、ドクターフリッツに15センチも切られましたが、同じように痛みはなく、至福感すらありました(笑)。
これです。看護婦さんに撮ってもらいました
三歳の時の体脱は手術後でした。先生は左足にドリルで穴を開けていました。もうダメだというので家族も呼ばれました。
私はドリルが痛くて(笑)肉体に入っていられませんでした。ドリルで穴を開けるシーンを少し上から見ていました(傍観者として)。
私は思いました。「まだ三歳の新品の体なのに・・」(笑)。
そしてその後、家族が話した内容を全て覚えているのです。それは大人の私として、聞いていました。だって「セックス」の意味を理解していたからです。
それは単なる盲腸でした。しかし三歳が盲腸になるわけがないという先入観と、当時赤痢が流行っていて、私はずっと赤痢病棟に隔離されていたのです。それで盲腸が手遅れになったのです。
しかし・・手遅れの盲腸の手術で、ドリルまで登場して、足に穴を開けました(点滴を骨髄に直接入れるためです)。
そんなことをやったがために、盲腸の傷口からばい菌が入り、腹の中は再び化膿しました。数週間後に再び意識不明で病院に入ります。
だから私の下腹には、大きな傷跡が二つあります。さらに左足にドリルの跡もあります。たかがスイカの種が盲腸に入っただけなのに(笑)。
執刀医は「大塚先生」と呼ばれていました。普通なら三歳の頃の記憶はほとんど残りませんが、体脱中の会話はすべて記憶していました。それは子供の肉体に縛られないからだと思います。
幽体離脱した私は憤慨もせず、極めて冷静に聞いていました。しかし20歳も年上のいとこが言った「次のを作った方がいいよ」という一言にキレたのです(笑)。
私は「ふざけんな、死んでねえよ、これから戻ってやるよ」と思い、ズタズタの肉体に戻ったのでした。その間、私は「光のシャワーの中」でした。
だいぶ大きくなってから聞いたら、執刀医はやはり「大塚先生」でした。
私は、この世に対する執着心が強いのか、魂が手術室を出ることは出来ませんでした。その頃は問いが無かったのかも知れません。問いがあれば、お花畑を確かめに行ったかも知れません(笑)。
生まれ変わりに関して研究した唯一とも言っていい人間は、すでに書いたようにイアン・スティーヴンソンという人です。彼は『前世を記憶する子どもたち』という本を書きました。それは550ページもの本ですが、こんな風に書かれた箇所があります。
「前世で死亡してから現世で生まれるまでの間に起こった出来事については、ほとんどの子供が語るべきものを持っていない。その間は全くの空白になっているのが普通である。」
立花氏は臨死体験を元に研究しましたが、そこには「光が満ちあふれ」「お花畑」のあの世があったという証言ばかりです。
イアン・スティーヴンソン氏は前世記憶者を調査しましたが、あの世についての情報は皆無です。何故イアン・スティーヴンソン氏のには、あの世の情報が無いのでしょうか・・。
どうもそれは、3才から5才の子供を対象にしているからではないかと思います。
まず一つは、直接取材が難しいです。3才から5才の子供に科学者がインタビューすれば、子供は怖がりますので、親に聞いたり、紹介者に聞いたりして、情報を収集します。その点においてなかなか突っ込んで聞けないのではないかと思います。
実はもう一つの仮説を、私は持っています。それは本当に本人の生まれ変わりではないかも知れない・・と。なぜなら、生まれた時点で前世のその人が死んでいないというケースが、かなりあるのです。
もう一つは、彼が「魂の分裂」と呼んでいるのですが、同じ前世を持つ子供が数人いたりするのです。これは人口増加を説明できる証拠になりそうですが、私はそうは思いません。
もしかすると、子供達の超能力によるかも知れないと思うのです。つまり、既に死んだある人にアクセスして、リーディングするような・・。
前世を語る子供達は、7才を過ぎたあたりから忘れてきます。つまりその能力が無くなってくるのかも・・と。
実は生まれ変わりの村の紹介者のトラさんも同じ仮説です。中国には「私は毛沢東の生まれ変わりだ」と言う人が結構いて、毛沢東になってペラペラと喋り始めるのだそうです。しかし、彼らにあの世は語れません。
イアン・スティーヴンソン氏と生まれ変わりの村が大きく違う点は、5才で証言が終わるか、5才から証言が始まるのか・・です。これは今後、議論の対象になると思います。
飯田史彦氏の『生きがいの創造』に出てくる証言も子供が多いです。つまり親が手紙を送ってくるのです。「子供は私を選んでくれた」・・と。
生まれ変わりの村では前世の家に行ったりして、騒動を起こします。行くのを禁止されたりします。しかしイアン・スティーヴンソン氏の場合にはそれは起こりません。だって5才を過ぎると忘れてしまうので、問題は起こりにくいのです。
というわけで、何が言いたいかと言えば、今まであの世に関する証言は、一つも無いと言っても過言ではないのです。だから勝手に、どうにでも解釈可能だったのです。
それは時空の意図かも知れないです(笑)。
イアン・スティーヴンソン氏の『前世を記憶する子どもたち』について、もう少し指摘したい点があります。
彼自身も書いているのですが、同じ家族内で生まれ変わるケースが多いのです。同じ家族ではないときは、近い親戚とか・・。これは生まれ変わりの村とは全く逆です。
同じ家族内だと、その家には「前世の情報」であふれかえっていると思うのですが、それが本当の前世の情報かどうか、どうやって切り分けたか、興味があるところです。
しかし生まれ変わりの村では、同じ家族内のケースは極めて少なくて、会いに行けば体を悪くします。
もう一つ気になる点は、自殺で死んだ人です。自殺で死んだ人は、次も自殺したがるというのです。生まれ変わりの村には、この現象はありません。
イアン・スティーヴンソン氏の場合は、憑依かリーディングだとすれば、自殺者にアクセスすれば、やはり自殺したくなるような気がします。
あとどうでも良いことなのですが、イアン・スティーヴンソン氏は、精子と卵子が結合した瞬間に魂は入ると言っています。それで問題になるのが「性転換率」です。性転換率とは、前世と今世の性が変わることです。イアン・スティーヴンソン氏の調査対象となった子供は、性転換率が15%くらいなのです。つまり異性に生まれ変わる比率が低いのです。イアン・スティーヴンソン氏はこの問題に関して「同じ性になるように操作しているんじゃないか」という仮説も持ち出します。つまり男性が精子を発射してから卵子にたどり着くまでに。
この点、生まれ変わりの村では「性転換率」は約5割なので、問題はありません。
それにしても、生まれる直前に魂が入るとは、私もビックリしたことの一つです(笑)。
今日は『死後の生命』(ロバート・アルメダー著・TBSブリタニカ)を読みました。
この本は「霊媒現象」が主なデータなのです。そしてイアン・スティーヴンソン氏のデータの引用も使っています。
そのあと飯田史彦氏の『生きがいの創造』を読み直しました。飯田史の本はブライアン博士の『前世療法』がデータの出所でした。
生まれ変わりやあの世の話は、本当に少ないことが分かります。つまり現状では「何も解釈できない」というのが本当のところだと思います。カルマにしても、何のデータも存在していない・・というのが本当だと思います。
だからこそ私は「データ本」については、解釈はしないというスタンスでいきたいと思います。だって、まだデータは別のところからも出てくるかも知れないからです。
シェルドレイク博士の「形の共鳴」もあると思うからです(笑)。グリセリンは結晶しないというのが定石でしたが、モスクワの研究所で結晶が出来たら、そのニュースがまったく流れないのに、世界中で結晶現象が始まったらしいのです。
しかし「幸島の100匹目の猿現象」は嘘だと、シェルドレイク氏自身が言っていますが(笑)。だから、どこまで信憑性があるかは、分かりませんが・・。
しかし、前世記憶者への直接インタビューという手法は、今までほとんどありませんでした。それを他の科学者も目を付けるのではないかと思うのです。5才以上の人間を対象にした・・。
ところでイアン・スティーヴンソン氏は、子供のときにインタビューした人が大人になってから会いに行きました。その多くは前世をすべて忘れてしまっているそうです。しかも子供の時に喋ったことはみんな嘘だったと言う人も多いそうです。
しかし前世のことって、重大事件だと思うのです。少なくとも、生まれ変わりの村の人にとってはそうでした。子供がいた母親などは、前世の子供をずっと気に掛けます。