■生まれ変わりの村とは

生まれ変わりの情報入れて

日本にもスープを飲まずに生まれ変わった人がいるのではないかと思っています。
本書を読んだあなた、あるいはあなたの友達が生まれ変わった情報をお持ちなら、ぜひ教えてください。生まれ変わりの情報であれば、なんでも結構です。 コメントとしてお寄せ下さい。



コメント(16)

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6qr7rv

まある :

いろいろあるのですが
わたしも猫の事をまず書きます。
3年ほど前に12年かった猫が腎臓の病気になり亡くなりました
その後、次は白い猫だと思い思いました。それはイメージのようなもので
とにかく白い猫を拾うということがミッションになったのですが
なかなかそうそう道に猫が落ちているようなことはなく、
また捨て猫もみつかりません。
ですが、なんとしてでも道で白い子猫を拾うということばかり考えていたある夜、
その夜は忘れもしない9/1ブルームーン満月の真夜中0時ぴったり
お墓を通りすぎている途中白い子猫がいた!と運転していた家族が言うのであわてて引き返すとそこに白い子猫が1匹いました
ちょうどもっていたポテトで子猫の気を引いて捕まえると、このこだ!!と思いました。
急いで家に連れて行くと、なんと!!前の猫が座っていたところに当たり前のように座りました。ああ この子は生まれ変わりなんだ、、と思いました。前の猫が亡くなってわずか3ヶ月後の事でした。

その子も今年の夏に亡くなりました
わずか3年の命でした
ですが、この子が亡くなって、また映像が目に浮かびました
今度は毛の長いグレーと白の猫で雄猫でした
どうやってみつけるんだろう
そう思いながらまた3ヶ月がたったある日、その子は新聞にのっていました
もらってください!と書いてありました
この子だ!とすぐにもらいに行きました。ですがその写真にのっていた子はすでにもらわており、さらに毛の長い子がいるのでその子を残しておいたと言われてさしだされた子が、イメージどおりの子でした
最初来た時はまったくふつうの暴れん坊の猫でしたので、この子は普通でいい猫ちゃんだと思っていましたが、
3日目、すごくしゃべるようになってしまいました。
それは夏になくなった猫そのもののおしゃべり具合で、とてつもなく喋るその姿はそのものでした。それにほんとにすぐ懐いて、なんでもしゃべって伝えようとするので前の子同様、こっちも疲れるくらいでした。お互いの意思疎通が別の言語って感じであるにもかかわらずおかまいなしにしゃべり倒すような人間のような猫でしたので、その様子はどの猫も到底まねできるものではありません。
そして5日が経った時、静かになった子猫はうとうとしながらソファの高い場所から私と娘を見下ろしていました
とっても幸せそうなやわらかな微笑みでとっても穏やかで優しい表情でした、それを見た途端、あ!やっぱり○ちゃんなのね!!と思いました。それは娘も同時に感じたらしく、ほぼ同時に「○の顔をいましてる!!」と言ったのです。

動物もこうやって生まれ変わってくるのだと思いました。

愛してる猫もきっとスープ(お水)をなめずに帰ってきてくれたんだと思いました。


すごく長くなりますが、
ついでに、
私自身の事ですが、
たくさんありすぎるので、、、1つ書きます。

イタリアに行く事になり、イタリア語を勉強していたのですが
夢に幾度となくでてくる家の夢をひさびさにみました
その時は、家の中のレイアウトや近所への抜け道など、その地域のことも詳しく見たものですから、出発前に同僚の女の子にその話をしました(その子と二人旅でした)
イタリアに到着し、バスでローマに向かう途中、なにげなく遠くの村を見ていると、その窓越しにとにかく懐かしい!!と感極まるような気持ちが湧いてきて、その村を見入っていると、その夢にでてくる家が見えます!!嬉しくて同僚の子に「あれ!!あれが!!わたしのこないだ見た夢の家!!わたしの家だとおもう!!」と興奮して言いました。すると彼女に外壁や家の形、なかの図面、まわりの道まで書いて説明もしていたのですぐに彼女もそれだと分かったいいました!
私達は短い滞在をしたのですが、とにかくもう二度と日本には帰らなくていいと思うほどイタリアにいることが自然でしっくりきました。
不思議だったのは(笑)
イタリア語は勉強していきましたが、それ以上にむずかしい会話となるともう私はあきらめてわたしの地元の(地方の)方言で(日本語)
話しました。向こうは向こうでイタリア語ばりばりで話すのですが
ほんとうに不思議でわらっちゃうのですが、これが通じるのです(笑)
私も向こうがなにを言っているのかわかるし、イタリア人の方も私がなにを言っているのかわかるらしく
ものすごくみょーーな感じで大笑いしました
そこはブティックでした
でもほかの日本のお客さまとはそんなことはできないみたいで、同僚も私のまねをしてみましたが、全く通じませんでした
なので「なんでまあるさんだけ通じるの?(爆笑)))」と何回も何回も言いました。
それがその店だけでなく、どの店でもそうで、皮のお店でもそうですし、靴屋さんでもそうですし、バールでもそうでした。
ただ通じなかった場所も2カ所だけあって、
銀行とホテルのフロントの方とは話が通じませんでした。
でも、銀行にたまたまいあわたローマの方々おおぜいの方達とはこれまたなぜか通じました。それでみんなで大笑いしました。
とっても面白かったです。

ちなみに、わたしは米も味噌も豆腐も好きではありません。食べれないといったほうがいいかもしれません。
刺身も食べれません。

あまりの偏食っぷりに子供の頃からしかられてばかりでした。
大家族で多いときは11人も家族がいたのですが、そんな偏食なのはわたしだけでした。
わたしが好きなものはグリーンのサラダや、海老やいか、たこ、ホタテ、牡蠣などで、オリーブオイルが好きでした、シンプルに焼いたお肉も。とにかく家族の作る日本食が食べれず、ずいぶん怒られました。わたし一人違っていたので(それはいまもです)わたしはよその子かもしれないとも思っていましたが、顔は両親にそっくりでした。


とりとめもなく書いてしまいましたが
ほかにも前世の記憶が沢山あるので よかったらメールさせていただければおもいます

思い出せる範囲 書こうと思います


また私の友人達もはっきりとした前世の記憶を話す人が多くて
類は類を呼ぶと思ったものです
その人達のお話もお伝えできればと思います


木下春翔 :

私は霊能者の方に前世を見ていただきますと、
必ず弘法大師様の直弟子と海外と貿易をしていた商人だったと言われます。
この度また1つ前世がわかり、
神主だった時もあったとのことです。
前世の僧侶の時と神主の時は、
天皇家に使えるかなり位が高い身分だったとのことです。

けいこ :

前世の記憶がはっきりあるわけではありませんが、不思議な経験を人生でいくつかしました。

1つは、幼稚園に入る頃からキリスト教や教会に異常に魅かれるものがありました。家は普通の仏教で、特定の宗教を信仰しているような家ではありませんでした。でも、私はキリスト教の幼稚園に親に自ら行きたいとはっきり言ったそうです。母の証言ですが、幼少から毎晩寝る前に一人で十字架をきって、一人でお祈りをしてから寝ていたそうです。家族は誰もそんなことはしていません。大人になっても教会や讃美歌に異常に落ち着きを感じ、懐かしく思います。そのキリスト教の学校で友人になった親友がいますが、30歳も過ぎて初めて彼女に「あなたとは前世で一緒だった。一緒の教会でシスターをしていた」と言われました。彼女は、それを最近思い出したと言っていました。
私は、やっぱり!としっくり思いました。
今でもそうですが、男性がなんとなく苦手です。家も女系家族ですし、学校もずっと女子校でした。前世ももしかしたら女性に囲まれた環境で生きていたような気がします。

もう1つは5歳のときに病気で死にかけました。その時に意識を取り戻した際、母に「お花畑にいってきた。ちょうちょうが飛んでいてきれいなところだった」とはっきり言ったようです。小さな私には、あの世がどんなところかというイメージもなかったはずです。

はっきりした前世の記憶はありませんが、自分には鋭い勘というものが人よりありますし、記憶力も異常によいです。人から、そんな細かいことを覚えているの?とびっくりされることもしょっちゅうです。
小さい頃から、おとなびていて勉強もさほどしなくてもかなり成績の良いほうでした。

最近、前世のことを知り、何となく自分の能力がもともと高いのは前世からの持越しなのではないかと思うようになりました。

もっと詳しく知りたいと思う今日この頃です。

ユリ :

以前メインでさわりだけレスしましたが・・
もう少し詳しく書き込みします。
かなり前、前世療法を受けに通っていた所で、小さなパワーストンに目がとまり、とても気になりました。
その石はアメリカのアリゾナ州にあるセドナという小さな町で取れたものでした。
その当時セドナはあまり知られてなかったようですが、どうしても行ってみたいと思ったのです。
現地で有名な教会に入った途端に涙が止まらなくなり2時間ほどいましたが、ずっと涙ぐんでいました。
これほどまで涙が出てくるのかしらと思うほどでした。
そして、とても懐かしく感じました。
直感的にこの教会で瞑想していたと思ったのです。
そして、白人でなく原住民、つまりネイティブアメリカンだと・・
そのうえ、成人に近い年齢の男性で家族と幸せに瞑想中心の生活をしていたと感じたのです。
セドナにはエネルギーの強い山がありますが、その一つの山を時々家の近くの川の水辺にたたずみ眺めていたと、その時思ったのです。
しかし、直感のみで確信はありません。
その当時は、どうしても行ってみたいと強い思いで行き、たまたまその土地でいつの時代か分りませんが、前世記憶を思い出しましたが、特別なことでもなく今は、今回の人生を大切にしたいと考えてます。

タマニ :

生れ変わりと思われるペットの猫についてコメントします。
2011年12月に12年程飼っていたメスの三毛猫が突然、死んでしまいました。
この猫は母が特に可愛がっていて、母の部屋で寝起きしていました。しかし、この年の9月に母が亡くなった後、元気をなくし、リンパ腫があるという診断を受けました。
抗ガン治療と漢方薬による治療があるということで、体に負担のかからないという漢方薬のほうを選び治療していたところ、みるみる回復し、検査したところ、リンパ腫が消えてしまいました。
食欲が増し、元気になり、太って丸くなりました。
しかし、12月23日の夜に突然元気がなくなり、妻の腕のなかで死んでしまいました。
火葬して葬ったあと、もりけんさんがフェルルにしてあげたように、よく遊んでいたおもちゃとか、好みの餌とか、我が家とか、部屋の様子とかを写真に撮り、これをタマニ(ネコの名前)に届くようにと願って燃やしました。
翌年の2013年の4月に1か月程、八戸で出張仕事がありました。(私は仙台です。)その時、初めて会った群馬県から来ている同業の方と合同で仕事をしたのですが、猫のことが話題になり、この方のところで子猫が6匹生まれ、里親を探しているということだったので、妻と相談してそのうちの一匹を貰い受けることにしました。
6月に群馬県の高崎まで、車で貰い受けにいったのですが、その時には、3匹は貰い手がついて、3匹が残っていました。
事前に写真を送ってもらっていたので、様子はだいたい解かっていました。評判によると、みんな素直でフレンドリーだということでしたが、そのうちの一匹だけがやんちゃで人に慣れないということでした。
私達夫婦としても、この一匹はないなと思っていました。
現地に着いて、いざご対面となったわけですが、ないと思っていたやんちゃな猫が自分から私達のところに擦り寄ってきて、交互に膝のうえに抱っこして離れようとしません。
飼い主のご夫婦もびっくりしていました。

当然この猫を貰うことになり、そのまま車で約3.5時間、高速を走り仙台の我が家に連れてきました。
運転は私がしたのですが、猫は妻に抱かれたままずっとおとなしくしていました。全然やんちゃじゃない。

家に着いてからは、全く疲れも見せず、トイレの場所も教えないのに用を足し、餌の場所も家の様子も解かっているようでした。
食欲も旺盛で、今はタマニが死んだ時と同じま~るい体型になっています。
私はこの猫は生まれ変わりだろうと思っています。
名前は「たま参」としました。
活発な雌猫からフレンドりーな雄猫に生まれ変わったようです。

ねこむすめ :

もりけんさんへ

連続コメントですみません。
先のコメントに前世を覚えている事、中途半端な霊能力と超能力があって、大変な思いをしているので、孫さんのエネルギーを受ける瞑想などをやっている旨を書きましたが・・・他にもすぐできる方法で、自分の能力をどうにか使えるようにする方法を知っていたら教えて下さい。
今のままだと、能力として使えていないばかりか、憑依などで大変な思いをしています。なんとかコントロールを学びたいです。
前世の事も、時々ふと思い出すのですが、もっと深くはっきりと思い出したいのです。

もし、お時間があればメールをいただけませんか?
前世の記憶の情報が調査に必要でしたら、私の記憶をもっと詳しく書いてメールさせていただきます。
前世を覚えているなんて言うと、大体の人にはバカ扱いされるので普段は言わない様にしていますが、もりけんさんの様に色々と調査されている方のお役にたてるなら喜んで情報提供いたします。

ねこむすめ :

もりけんさん、はじめまして。スープの事は覚えて無いのですが・・・私は今世の子供の頃、自分の前世の記憶がハッキリとありました。
3歳か4歳の頃、近所のお友達と遊んでいた時に、「私はこの体の前は(その時は前世という言葉を知らないので)こんな洋服を着ていて、髪はこんな風で」と説明したら、皆にキョトンとされて、バカ扱いされて、それで皆には前世の記憶が無いという事実を知りました。
まだ子供だったので自分が覚えているならみんなにも記憶があると思っていたのでとてもショックでした。

それから何年か経って、8歳か9歳の頃、テレビでラストエンペラーという映画を見た瞬間、記憶が蘇る出来事がありました。映画の中の紫禁城を見て、ああ、私はここに居た!と思い出し、親に言ったらバカ扱いされました。

バカ扱いされるのであまり人には言えませんが、今もたまに思い出します。現在のチベット自治区で生まれて、その後紫禁城へ行った。年代は1860年頃、アヘン戦争の時代。前世は中国で2つ前の前世はスペインのグラナダです。グラナダの事は大人になってから思い出しました。2つ前の前世はどこに居たのだろう?と考えたら、脳にグラナダと聞こえたので、ネットで調べたらスペインにグラナダという地名がありました。最後の死ぬ時の映像も見えました。


私は、もりけんさんが仲良くなさっている超能力者の孫さんにとても興味があって、このサイト内に書いてる方法で、夜、孫さんからエネルギーをもらう瞑想をやっています。道教や気功や気学にもとても興味があり、修業してみたいと思っています。多分、前世でやった事があるので興味が惹かれるのだと思うのです。
今世は中途半端な霊能力と超能力みたいなものがあり、憑依で死にそうになったり、霊とテレパシーで喋ったり、何かにアクセスしてしまったりして大変なので、どうにか防御とジャッジとコントロールを学びたいと思っています。

生まれ変わりかは不明ですが :

 以前も森健さんにお手紙はしたと思いますが、私はものごころついた4,5歳の時からものすごく戦争の白黒映画や実写版ドキュメンタリー映像を見るのを怖がる幼児でした。それを見るのは父であり、昔はチャンネル権は父にあるわけです。TVは1家に1台ですし。平日の夜や土日の昼に父が見ると私は怖がって絶対見てほしくないと叫び、吐き気がして、戦争をひどく憎んでいました。殺しあうなんておかしいと思っていました。軍服も戦車も銃撃戦もきらいでした。軍歌も恐ろしい気持ちでした。
 でも今から思うと、私は戦争を体験したこともない年齢です。
 父は昭和18年生まれですが。


    40代女性より
 

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