『生まれ変わりの村1』が出来るまで(7)
要旨:
『生まれ変わりの村①』は、いよいよマーケットに出ました。これで前世の記憶を消去するスープの存在が人々に知れ渡り、来世に前世記憶を保持した「生まれ変わりの人」が誕生する種が蒔かれました。
しかし、全てが順調に進んでいるわけではありません。むしろ状況は極めて厳しいとも言えます。一万通もの告知メールを出し、数百万の広告費用をかけて、打った数に対する反応率はほんのごく僅かです。出版が実現してからも、打つ手を考え続けています。売れないと思っているからこそ、考えられる限りの手を尽くしています。
本の出版後、読者からの感想ハガキが数百枚届き、全て読みました。異を唱える意見もありますが、多くの人は「生きるのが楽になった」という感想をくれています。一番多かったのは、「人は何のために生きるのか、本当に分からなくなりました」というものです。読者達からのリアクションは、想像以上に濃い内容でした。
中には、生まれ変わりの村の人達は魂のレベルが低い、もしくはそういう信念を持っていたからそういう場所へ行ったのだといった反論もありました。アセンション(次元上昇)を唱える人達も、生まれ変わりの村を否定してきます。
生まれ変わりの村の人達は、誰一人として特別なところを感じさせません。しかし彼らは、不満を持っている風にも救われたがっている風にも見えません。彼らを批判する人こそ、特別意識や信念を持ってはいないでしょうか。
様々な反論もありますが、根元的な感想に出会うと私は嬉しくなります。
自我が消滅しないことに衝撃を受けて、スープの選択自体はどうでもよいと書いてきた読者がいました。私が本の中に直接書いていないのに「やはり今が大切だと知りました」という感想が来て、この本はあの世を通して「生」が書かれていることに、著者自身が初めて気付かされたこともありました。
「事例を読んだ限り、神様の意図もルールも見えません」という意見もありました。この指摘は個人にとっての生き方や死に方の問題を超えて、神が作ったこの世界のシステムの核心に迫る問題に触れています。
『生まれ変わりの村①』を出版する過程では、一般的な成功に反する道をいくつも通り抜けてきました。それでも私は神に斬り込んでいきたいです。そして広告などでこの本と出会った人の中から、根元的な問いを持つ人が出てきてくれればいいと思っています。そういう人にとってのデータ本になりたいです。
紀伊國屋書店から精神世界のコーナーが消え失せて、成功本とアセンションに変わりました。精神世界では有名な翻訳者も「引き寄せの法則」を訳すようになりました。
バシャールにしてもフィンドホーンにしても、純粋な精神成長の雰囲気がありました。私はそれほど嫌いではありませんでした。でも最近は三次元の目的バリバリです。昔なら、引き寄せの法則などというのは、彼らにとってむしろ否定の対象になったような気がします。
精神世界の流れの一つとして、「世界は自分が創り出している」というのがあると思います。引き寄せの法則なども、元を正せばこれだと思います。このブログの言葉で言えば「私は原因」です。なので自分が変われば、世界も変わるのです。
私はずっと前から、この考え方を受け入れる事が出来ませんでした。なぜ受け入れられなかったか、よく分かりません。
では「私は原因」を受け入れられた人は、なぜ受け入れられたのでしょうか?
「私は原因」の人は「世界は自分自身が創り出している」と言います。
しかし世界を創り出せるほど、自分って大きなものでしょうか?
私は自分自身なんて、とても小さいと思っていました(今でもそうです)。
しかも、上の存在と一つになれるような要素は自分にはありません。
なので、どうあがいても、自分は何も出来ません。
だから「私は原因」に、どうしてもなれないのです。
成長しよう、そして大きな人間になろう、そして世の中を変えられる人間になろう。精神世界は、こんな図式があるような気がします。
「自己変革セミナー」とか「新しい自分を見つけようセミナー」とか「潜在意識を呼び起こそうセミナー」などは、この流れにあると思います。
しかし、小さい自分を肯定してしまえば、そんなセミナーに出る必要はなくなります。
そんなに大きくなりたいでしょうか?
自分が大きくなることを欲すれば、生きることが辛くなると思います。小さくても良いのなら、ホッとします。
少なくとも私は、自分を大きくしたいと思いません。なぜなら、自分を大きくしたって、たかが知れているからです。
たかが知れている・・たかが知れている・・
たかが知れているのに、どうして大きくなろうとするのでしょうか。
『生まれ変わりの村①』で私が一番気を遣ったことは、小さな自分の存在をさらに小さくすることでした。
本日、見本本が120冊刷り上がってきました大変に満足できるものです。特に水滴の表紙が綺麗です。
そのカバーを汚したくないと思う人は多いはずです。でもカバー取ると・・、また別の水滴の写真が載っている表紙が出てきます(モノクロです)。しかもタイトルはローマ字なので、ちょっと見には「そっち系」の本だとは気づきません(笑)。
中は重いテーマなのに、写真が多いので救われます。
とりあえず私は嬉しいです。データ本が、ここまで生き残ってきたからです。
月曜日には刷り上がって火曜日には書店に配達されます。
少なくとも火曜日には、マーケットに出てしまいます。個人で止めることは、もう出来ないでしょう。あとはマーケットの判断です。
あと二日です。あと二日で、データ本がマーケットに並びます。書店に並んでしまえば戻ることは出来ません。
配本数は15000部です。当初は6000部でしたので二倍以上です。
サイン会なんてやりません。何故サイン会をしないかと言えば、せっかく刷った部数を、内輪で消化したくはないからです。
それでも15000部は売り切らないといけません。あと二日です。
書店は全国に15000はあると言われています。しかし書店に配本されるのは3000部です。つまり一冊ずつ配本されたとしても、5店に一冊です(笑)。
ぶっちゃけて言えば、大半の本屋には並びません。それに引き替え、ネット書店には10000部も配本されます。しかし私は、どのルートでも良いのです。
スープの情報が1万人以上に知れわたることが重要です。スープを回避する人が1割だとしても、来世は1000人の「生まれ変わりの人」が誕生します。宗教が言っている事が全然違うということも、判明されます。中にはクリスチャンだっているでしょう。
読み方によれば、いくらでも深く読める本だと思っています。幾つか挙げれば、
・生まれ変わった場合の男女の愛
・魂はいつ入るか
・赤ちゃんのときから「オトナの心」を持つこと
・裁きはない
・来世を計画できない
しかし今回のデータ本は「軽く」「あっさりと」書きました(笑)。読む気になれば一時間で読めるのが目標でした。
しかし第一巻にだって、24の事例が入っています。生まれ変わりの調査の数としては、あり得ない数です。しかも一人ひとり、生死を懸けた人生を語っています。なので一巻の事例数としては、実は多すぎるくらいです。
『前世を記憶する子どもたち』という本は、たった12の事例に500ページを使っています。しかも、あの世の記述はゼロです。580グラムの本です。ちなみに私の本は250グラムです。
今回の私の路線が吉と出るか凶と出るかは、マーケットが判断することです。
怒濤の一週間が、やっと終わったと思いました。大きな収穫は、全国紙の新聞が広告審査を通したことです。来週から朝刊の下に載ります。
審査は二ヶ月も前に出してありました。その二ヶ月の間に各種の変更を迫られました。でも無条件で呑みました。無条件降伏です(笑)。
宣伝が自由に出来ることが、こんなに嬉しいことだとは思いませんでした。私は結構、マーケティングが好きなんだと思いました(笑)。
一般の本はなぜ別に帯を付けるのか、私には理解できません(他の本がそうだから・・という理由しか考えられないのですが)。扱いにくいだけです。
帯の文字までを含めて読者に届けたいとすれば、一緒の方が良いと思いました。しかも帯が一緒の方がコストも安いです(笑)。
生まれ変わりの村の人達は、こう言っては失礼かも知れませんが、凡人です。私も巻末の著者紹介では、「不思議な能力は何もなし」と書いてあります。つまり凡人です。
凡人と凡人が出会ったのです。
でも、あの世系の本を書いたりテレビに出たりする人は、違いました。それなりの能力を持っていました。言い換えれば「ニュータイプ」です(何か、書いてて恥ずかしい(笑))。
体脱であの世を見てくる人も、催眠療法を使う人も、「凡人」ではありません。
しかし『生まれ変わりの村①』に出てくる人達に、そんな人はいません。
有名人の一人は「生まれ変わりの村の人達はレベルが低い人達だ」とさえ言ってのけました。
しかし世の中を変えるのは、超能力者やニュータイプではないかも知れません。
『生まれ変わりの村①』の最後の事例の話です。最後の事例は牛を二度経験して、人間に生まれ変わりました。そして前世の飼い主の家に、お礼に行きました(笑)。こんなふざけた話なのに、誰も文句を言いません。
色々な事例を読んで「もう、何が出てきても驚かない」という状態になっているはずです。だから牛が生まれ変わってお礼に行っても、文句は出ないのです(笑)。
でも、それだけではないような気がします。最後の事例はメルヘン的なのです。審判の無いあの世だからこそ、こういうメルヘンが発生するのだ・・と。
データ本でなければカットされるところでした。
よく読めば、牛は最初、自殺しています(笑)。だから『生まれ変わりの村①』に、自殺の事例は2件あるのです(笑)。
聞いた話なので「森田のコメント」はありませんが・・。
そしてその話を聞いたのは、取材のために家を貸してくれて、さらに手製のうどんまで作ってくれた家でした。
ところで、生まれ変わりの村で写真撮影を拒否されたことはありません。それどころか「歴史の証言者として残りたい」と言って、撮影をせがんでくる人もいました(天秤棒のおいじさん)。
最後の方の事例も、息子さんも一緒に写りたいと言ってきました。ヤクの売人も「写真だって撮られてやるわい」と言いました。
今の中国の状況を考えると、生まれ変わりの村の本を中国で出すことは考えられないのです。だから生きているうちに日本人が取材に来てくれて、嬉しかったのではないかと思います。
彼らは偉ぶったりするところが、全くありません。それが何故そうなのか、今でも分かりません。
テレビ番組××のリサーチをしております○○と申します。
『生まれ変わりの村①』を拝読させていただき、いくつかお聞きしたいことがありまして御連絡させていただきました。質問にお答えいただければ幸いです。
お聞きしたい内容は、
・「生まれ変わりの村」の地名をお聞きするのは難しいでしょうか?
・その村にはどのくらいの人口が暮らしているのでしょうか?
・村の全人口中の何割の人が前世を記憶してるのでしょうか?
(⇒詳しく把握されてるようでしたら、人数もお願いします)
・村人全員が、「スープの伝説」のことを知っているのでしょうか?
・前世記憶者は、前世のことを話すと病気になってしまう人の方が多いのでしょうか?
以上になります。ご協力いただけますよう、何卒宜しくお願い致します。
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テレビには出る気はないと返事をしました。
みなさんがマスコミなら、同じようなメールを出すのではないでしょうか。
今まで私が出した本を読んで、テレビ局が興味を持ったものは、ほとんどありませんでした。しかし今回は、発売後一週間しないで来ました。
つまりこれは、私が本に書いた情報はマスコミにとっても価値があるということです。
スピリチュアル系の人がウケるのは「ニュータイプ」だからです。ニュータイプに対して私はオールドタイプですが、それでも、妖精の秘密本のような威力がどこかにあるのかも知れません(笑)。
生まれ変わりの村ドットコムの「読者参加コーナー」に、「自我が消滅しないこと」について入れた人がいました。その人はスープの選択など、どうでもよいことだ・・とも入れています。
こういう読者が出てきてくれて嬉しいです。宗教関係者の中にも、そういうことを考える人が出てきて欲しいです。救われることばかり考えて欲しくないです。
新聞広告で本を買う人もいるでしょう。その中から、下位の問いを持つ人が出てきて欲しいです。そういう人にとっての「データ本」になりたいです。
人が一番騙したいのは、自分自身だと思います。読者の感想の中に「騙すのならもっとうまく騙して欲しかった」というのがありましたが本音だと思います。人はずっとそうやって生きてきたのですから・・。
何が一番騙す行為かと言えば、「信じる」ということだと思います。「事実」が分かれば、「信じる」という行為は消え失せるはずです。宗教が「信じなさい」というのは「事実」が無いからです。
しかし私達は、自分自身の中に「事実」を持っていません。「事実」はむしろ、自分を取り巻く環境の方だと思います。
さて、話を分かりやすい方向に持っていきます。
あの世のことは誰も知りませんでした。つまり「事実」としては何も存在しませんでした。だから「信じる」という単語が横行してきたのです。
実は「信じる」と「騙す」はイコールなのではないかと思います。
「私を信じて下さい」とは、「私に騙されなさい」と同義語だと思います。だって本当に信じられる人なら、わざわざそんな台詞は言いません。
『生まれ変わりの村①』という本は、書いてあることを何もわざわざ信じてもらわなくても良いのです。魂の不滅を信じてもらわなくても良いのです。なぜなら、騙す必要が無いからです。
しかし・・です。私は、好きな女性に対しては、一生騙し続けたいと思います(笑)。逆に好きな女性からも、一生騙され続けたいと思います(笑)。
中国紀行から帰り、今日会社に行って一番驚いたのは、『生まれ変わりの村①』の感想が670通も届いていたことです。発売からまだ20日ほどしか経っていません。その中には前世記憶者もいました。この手紙だけは今日全て目を通しました。
しかしです。前世の家が確定していて、そこを訪れるようなケースはゼロでした。なので、生まれ変わりの村は、本当に貴重だと思いました。
さらに、手紙をくれたほとんどの「前世記憶者」は、生まれ変わりの村に異を唱えていました。カルマが存在しないのは、おかしいと言うのです。
そしてこのほとんどは、「自分は能力者」だと書いていました。つまり、自分の前世や他人の前世が「見える」能力者なのです。
日本には、この手の「能力者」は沢山いそうです。
ところが、あれだけ凄い能力者がいる中国には、「前世が見える能力者」はいません。
なぜ日本にだけ、こんなに多いのか・・。そして、わざわざ『生まれ変わりの村①』に異を唱えてくる・・。
しかしこれは、手紙をくれた彼らだけではなく、日本全体が持っている概念かも知れません。日本人の多くは、「神さまや仏さまは、どこかで見ていて下さる」と思っているような気がするのです。
しかし、その反面「生きるのが楽になった」という感想も多いです。たぶん「判定」から開放されるのだと思います。
明日から数日かけて、670通に目を通します。
「価値観が崩れ、すでに快感状態です」とかあります(笑)。あと意外に多いのが、「この本を読んで、余計に、今を大切に生きたくなりました」というのです。
たった一人だけ「買って後悔した」というおばあさん(74歳)がいました。「あの世を光とお花畑の世界だと信じたままにさせて欲しかった」・・と。
「大きな気付きに出会いました」とか「これからも頑張って生きます」といった感想は、一つもありませんでした。
多かったのは「人は何のために生きるのか、本当に分からなくなりました」というものです。つまりこれは、「生き方に対する変化はありません」に、似ているような気がしてなりません。
人生が一回しかなければ、こういうフレーズが出てきても理解できます。それで感じたことがあるのです。
それは、この本は意外にも「生(せい)」について書かれているのかも知れない・・と。
逆に「ステージアップ派」は、「死」について書かれているのかも・・と。
つまり、生まれ変わりの村の人は、あの世をして「生」を語ったのだ・・と。
それは著者である私ですら、言語化していない部分でした。
実はあとがきが大変に評判がよいです。本文ではなく、あとがき以降が褒められる本は珍しいです(笑)。
特に「価値観が無い・・」というところ。
しかし人は、価値観が無い・・という価値観に耐えられないのではないかとも思っていました。
それから、著者プロフィールも評判が良いです。不思議な能力も無し、趣味や特技も特に無し・・が(笑)。これを読んで買う気になった人もいました。
それから「もしも神がいるとしたら、なぜ人間を作ったのでしょうか。僕はわからなくなりました」というのも、評判良かったです(笑)。
しかし「2巻では、少しは分かってきますよね?」というのがありました(笑)。
生まれ変わりの村ドットコムに、676通の集計結果を載せました。
あそこに挙げられた項目は、多かれ少なかれ、全員が持った感覚だと思います。
しかし故意にカットした項目もあります。それは「江原さんと森田さんを対談させたい」というものです(笑)。数にすれば30はありました。
もう一つカットしたものに、モンロー研究所のヘミシンクがあります。つまりモンロー研究所のヘミシンクから、あの世を考察した本が流行っているために、それが「あの世の最終版」と思っていた人が多いのです。
「モンロー研究所のヘミシンクとの折り合いを、どう付けるのか?」と・・(笑)。
しかし、その人達の中に『私は結果』を読んだ人がいて、とても驚いています。なぜなら、ヘミシンクから「私は結果」ということが導き出されたからです。
ヘミシンクからは普通、「私は原因」が導き出されるのです。
男女比は、男性479人(62%)、女性308人(38%)です。これは『不思議の友』の会員に占める男女比と、ほぼ同じです。
つまり本を買う人の約2/3は男性で、その後ファンとしても定着するのも、男性の方が多いのです。私ってば女性運が少ない・・(笑)。
でも腑に落ちません。本の巻末に載っている著者の写真だって、そんなにブオトコではないと思います(笑)。
じゃあ何で男は買うのに、女は買わないのだろう・・。でも、この問いは逆かも知れません。女は普通通り買っているのに、なぜ男はそれ以上買うのか?(笑)
ところで楽天ブックスがメルマガを出してくれるとき、「精神世界の関係の本なので、ターゲットは女性ですよね」と訊いてきました。でも私は、『不思議の友』会員の男女比を送りました。すると先方は驚いていました。通常、精神世界は女性ファンが多いのだそうです。実はこの原因については、私自身も理解不能です。誰か女性ファンを増やす方法を教えて下さい(笑)。
統計データでは、60代以降が約30%もいます。つまり三人に一人が、私よりも年上です。そういう人生の大先輩たちが書いた感想があれなのです。
あれ・・とは「人間が何のために生きるのか、分からなくなった」です。
こういう本を若い女の子が買いますか?
続いて「2巻では、この解答のヒントくらい貰えるのでしょうか」と書いた60代の男性もいます。
解答なんて、書いてありません。しかし精神世界の大半の本には、解答が書いてあります。なので『生まれ変わりの村①』は、最初から最後まで問題提起だという、極めて特殊な本だと思います。
こう言っては女性に失礼ですが、ファッション雑誌が好きな女性にはウケないと思います。
20代の女性は、巻末の著者紹介で「不思議な能力は無し。趣味や特技も特に無し」を見て買う気になったそうです(笑)。
「こいつ、俗世間から抜けてんなぁと思った」と書いてあります(笑)。
しかし世の中の大半の人は、著者の持つ「能力」を測ると思います。大金はたいて(1500円だけど)買う価値あるか・・と。
しかも裏帯には、著者自身も、ますます分からなくなったと書いてあります。
なので若い女の子は、著者自らが切り捨てているようなスタイルだと思います。
私はこういう性別層、年齢に読まれていることに、誇りを感じているのです。
10代・20代の女性は9人しかいません。9/805は1.1%です。
モリケンがいかに若い女性から見放されているかが分かります。
一番多いのが50代の女性で、93人です。男性で一番多いのも50代で、156人です。これは『不思議の友』の会員比率でも、同じなのです。
つまり、ぶっちゃけた言葉で書けば、ギャルに好かれないで、おじさん・おばさんに好かれるのが、モリケンなのです(笑)。
きょうも『生まれ変わりの村①』の読者ハガキを100枚ほど読みました。
その中に、高野山大学院で密教を学んでいる大学院生がいました。
「今までは仏の名を借りたヒトのヒトによるヒトのための希望にすぎなかった」と書いています。
最近は新しい人が手紙をくれるようになりました。なので「頭をハンマーで殴られたようだ」というような表現が多いです(笑)。
アル中の人が「もう酒を飲んでいる場合ではない」と書いているのもありました(笑)。
家で飼っているペットに突然、家族が優しくなったというのもありました。たぶん牛の生まれ変わりに影響されたのです(笑)。
高齢のおばあさんは(死ぬ前に)息子から読めと言われたと・・(笑)。
そういえば同年代の女性から「写真に写っている森田さんが素敵だ」というのが、一件だけありました(笑)。
あと、真面目に生きる気がしなくなったというのもありました(笑)。
共通することは、「予想されたことだった」というのは一通も無いです。著者本人だってそうですから・・。
さらに来た140通の読者ハガキを、やっと読み終わりました。そのなかの一つに、こんなのがありました。
「事例を読んだ限り、神様の意図もルールも見えません。」
これは結構、根元的な問いが入っています。他の人の感想の多くは、自分の個人的な死に対することがらが多いからです。さらに、多くの人は着地しようとします。意図やルールを無理矢理にでも見出そうとします。
「事例を読んだ限り、神様の意図もルールも見えません。」
私もこの見解には同意します。「意図やルールが無い」というのは大発見であり、この気付きが広がるだけで、世界は変わってしまうはずです。
しかし、この世はルールだらけです。でも、その行き着く先には「意図もルールも無い」のです。
こういうシステムは、人間には出来そうにありません。やはり神でないと(笑)。
今世での苦しみが、そのまま「あの世」あるいは「来世」を、見返りとして創り出しているような気がします。だから、そういう考えを持つ多くの人が『生まれ変わりの村①』に対して反論をしてきます。
その反論とは・・「その村の人は、そういう信念を持っているから、そういう場所に行ったのだ。そういう信念を持たなければ、お花畑に行けたはずだ」・・と。
しかし信念を持っているのは、反論をしてくる人達のように感じます。
だって生まれ変わりの村の人達は精神世界に溺れているわけではなく、特定の宗教に入っているわけでもありません。毎日を自然に過ごしてきた人達ばかりです。
そしてあの世に対して、不満を持っている風にも感じません。不満を感じているのは、それを読んだ読者の方です(笑)。
生まれ変わりの村の人達は、「救われたい」とか感じている様子もありません。
「信念を捨てよ」というアドバイスなど、余計なお世話というものです。
日本人は、死後に対する妄想を創りすぎたと思います。