■生まれ変わりの村とは

対談:作家・山川健一さん

 山川健一さんという作家は100冊以上の本を書いています。
 ある時はバイクのライダーが主人公だったり、またあるときはSM嬢が主人公だったりします。空海や新撰組についての本も出しています。
『ヒーリング・ハイ』(早川書房)という本には、彼自身オーラが見えるようになった体験が書かれています。
 バラエティに富んでいますが、それだけ間口が広いということです。
 なぜかと言えば、おそらく自分に正直なのです。今回の対談の最後に出てきますが、彼はイノセントな生き方をしているのです。
 彼のブログは、ここです。


http://yamaken.ameblo.jp/


 そんな彼のファンであった私は、『生まれ変わりの村①』の原稿を送り、インタビューを申し込みました。するとすぐに返事がありました。
 
「対談させていただくのは、まったくかまわないですよ。その対談は、森田さんの書籍に掲載されるのでしょうか。それとも雑誌か何かですか。どんな媒体でも、ぼくはかまいません。ただ、じつはぼくも今「死後の世界への旅」というコンセプトの本を書いているのですが、輪廻転生というものについて、懐疑的なのです。死後の世界があり、むしろそちらのほうが普遍的な世界だという確信はあるのですが、輪廻転生が本当に存在するのかどうか、よくわからないというのが本音です。というのは、たとえばインドのカースト制度下で自分がシュードラに生まれた場合、「それはおまえの前世がよくないからだ」と言われても「冗談ではない」と感じるだろうと思うからです。もともとロックキッズだったので、その辺の受け取り方も反抗的なのかもしれません。森田さんと対談させていただくことにより、そんな自分の疑問が氷解すればいいなぁと漠然と考えております。では、よろしくお願いします」
 
 山川さんと私の妻が知り合いだったこともあり、25年ほど前に一度、赤坂で飲んだことがあったのですが、その後、縁は途切れました。しかし、彼の書いた小説は読み続けていました。
 時は経ち、2007年12月に、山川さんが編集長を務めているアメーバブックスから『何故あの会社はメディアで紹介されるのか? 』という本が出版されることになりました。私は著者の西江肇司と知り合いだったために、西江さんのほうから出版記念パーティへの招待状が届きました。
 
 インタビュー当日は、夕方6時に山川さんの事務所に着きました。お互いにテープレコーダーを出して、録音スイッチを入れました。ダブルインタビューです。
そして、時間を惜しむようにすぐに話に入りました。
 
 ところで、この対談は少し長いです。でも、ほとんどノーカットでここに載せたいと思います。なぜなら『生まれ変わりの村①』の編集方針が「一切の脚色なく収録した世界初の本!」だからです。
 
対談は横道にそれるときもありますが、大変に示唆に富んでいる内容ばかりです。


■「私は結果」はコペルニクス的転回
■探求のきっかけ
■ドラッグ体験
■仏教との出会い
■仏教的見地から考える生まれ変わりとは
■生まれ変わりのサイクルは1年9ヶ月
■あの世とこの世は切れ目がない
■あの世はどんなところ?
■ヘミシンクの世界とあの世
■生まれ変わりの村と宗教
■「私」のルーツ
■魂はいつ肉体に入るのか?
■価値観のない世界
■日本はごちゃまぜの国
■お葬式の意味とは?
■魂は蓄積できるのか?
■人間はなんのために生きているのか?
■2012年に何が起こるか?
■六爻占術(ろっこうせんじゅつ)で大儲け

山川健一(以下Y):生まれ変わりの村の話に入る前に、森田さんが以前書いた本の話をしたいと思います。まず、『「私は結果」原因の世界への旅』(講談社+α文庫)を読ませていただいて、次に『運命におまかせ』(講談社)を読ませていただきました。
 『「私は結果」原因の世界への旅』にはモンロー研究所(アメリカの体外離脱研究所)が開発したヘミシンクの話が出てきます。僕はヘミシンクをちょっと体験したんです。というのは、坂本政道さんが高校時代の友達で、最初の本を出す時に相談に乗ったりしていたのです。坂本さんがヘミシンクをやっているというんで、じゃあ、ちょっと体験させてよってことで、音楽仲間やスタッフの女の子など7人で体験しました。それでフォーカス15という領域まで行ったかな。だから、少しは知っているんです。
 それで、『「私は結果」原因の世界への旅』を読んで。これは本当にコペルニクス的転回というか。つまり、「私は結果」で、原因というのは別にあるんだという発想にはすごくインスパイアされました。そう思うと楽っていうか。
カヌーの話もすごく面白かったです。
 それで、その次に『運命におまかせ』を読んで。これにもやっぱり衝撃を受けた。だから、この考え方に相当影響されたと思います。自分としてはすんなり受け入れられたし。ただ、発信機を自分のお腹の中に入れたりとか、すごいなぁと思って。まあ、確信があったからやったのでしょうけど。
 それで、『生まれ変わりの村①』の原稿を読ませていただいて。輪廻転生って、僕は信じる信じないの前に、考え方として嫌いだったんですよ。なぜかというと、例えば自分がインドのシュードラに生まれたとしたら、自分は今世でこの抑圧を跳ね返さなきゃいけないと思って生きると思うんですよ。だけど、「お前、それは前世の因縁で仕方ないんだよ」と言われちゃうと、意味がないというか。だから、そういう因果応報の考え方が嫌いだったんです。
 ところが、森田さんの『生まれ変わりの村①』の原稿を読ませていただくと、因果応報とは関係ないんだと。それで、ああ、なるほどなぁというふうに思って、受け入れられました。


Y:そもそも、森田さんが、こういう世界に興味を持ったきっかけというのはなんだったんですか? 昔はそうでもなかったよね?
 
森田健(以下M):よく本の最初に書くんですけど、高校時代に、物理の方程式を誰が作ったかという疑問を持って、その疑問からずっーと離れていないんですよ。生まれ変わりの調査をやるときも。
 科学をやる人というのは往々にして、この世界は偶然にできたんだと言うじゃないですか。それで自然淘汰していって・・。要するに誰が何の意図もなく、猿から人間になって、強い者が勝ち残って、そういう原理原則で生きているから、死ねば無に帰るっていうような考えがあるような気がするんです。でも、やっぱりルールに則ってやっていると思うんですね。モノが落ちるという一つをとっても、どこに行ったって同じようにモノが落ちて、たぶん、月の上でも同じだし、どっかの星の上でもその重力の方程式にしたがって落ちると。でも、例えば、赤信号は止まれというのは国が決めているからやっているわけですよね。だとすると、宇宙全体を支配するルールというものがあるとすると、それは偶然じゃないじゃないですか。偶然だったら、ほかに行けば落ちなくたっていいわけですよね。でも、どこに行ったって落ちるというのは必然的に落ちているわけで、じゃあ、それを作ったのは誰なんだろうと。だから、私はどちらかというと、有神論に近いんですね。
 でも、キリスト教の神様みたいに、コントロールして人間を成長させるとかいうのにもピンとこないんですよ。それだったら、つまらないじゃないですか。ルールを作った神様がどっかにいる・・かどうか知らないんですが、その本元を探りたいなと思っているんですね。そういうのが動機なんです。
 それで、私は、大学時代に私の妻と同じサークルに入っていて。
 
Y:ああ、上智大学ですよね。読みましたよ。書いてありましたね。
 
M:放送研究会に入っていまして、台本を書いたりしていたんですが、その時に、「私は誰?」とかラジオドラマの中に一生懸命に書いていたんですね。でも、就職する時に、私は理工系ですから、富士通に入って、もう人生を諦めたんです。私の人生はこれでもう、自分のやりたいことも全部捨てようと。あとはもう生きるためだけに生きようと思って就職したんですね。でも、だんだんムラムラしてきて、やっぱり昔の疑問を解きたいなと思ってやっているうちに、こっちのほうにだんだん吸い寄せられていったんです。
 そういう意味では、山川さんなんか、割とダイレクトに行っているよね(笑)。


Y:僕も事情を話すと、高校生の時に、いろんなものに同時に出会ったんですよ。一つはロックっていう音楽、もう一つはランボーとか中原中也といったような文学、それからもう一つはオートバイ。そこで一回自我というものを崩して、もう一回再構築するみたいなことを高校生の時にやった。
 それから間もなくドラッグってものに出会うんですよ。それで、アナザーワールドというのが確実にあるんだという確信がそこで芽生えたんですよ。目に見えているだけが本当の世界じゃないと。いわゆる70年代前半のアンダーグラウンドカルチャーに身を置いた人たちがそういう世界のことをリアルワールドというふうに言っていた。そっちのほうがリアルなんだと。我々が、変性意識状態じゃないところで生活しているほうは仮の姿で、本当はリアルワールドというのがあるんだと。それはだから、ある種、体に染み込んだ確信みたいなものです。目に見えるだけが世界ではないと。
 それで、僕はすぐドラッグはやめたんですけど。でも、10年ぐらいはやっていたかな。要するに、そういう世界があるんだってことがわかればそれでよかったから。
 
M:それはマリファナとかLSDとかですか?
 
Y:そう、マリファナ、LSD・・。 
 
M:まあ、あの頃は、マリファナ、LSDは、どっちかと言ったら合法に近いですよね。
 
Y:そうですね。
 
M:私もLSD体験はあるんです。横田基地内でバイトしている時に。ちょっとだけ喋ると、テーブルを丸いと思うと丸くなるんですよね(笑)。それがすごく不思議だったんです。あと、白黒のテレビを見ているんですけど、好きなように色がつく。まあ、だから、この世っていうのは何なんだろうというのは思いましたよね、あの時は。
 
Y:僕も同じような感じで、部屋にいるとニジマスがシュッと泳いだりとか・・。こういう世界があるんだっていう。そこはもう確信として揺らがなかったですよね。ただ、一つだけ問題があって、それが脳内現象なのかどうかということですよね。実際にあるのか、脳が錯覚しているのか。そこの問題だけは解決できないけれども、そういう世界があるん だということだけは、ものすごく強く感じて、それがたぶん僕の初期の小説には全部反映されているんだろうと今振り返ると思います。

 

Y:そうこうしているうちに、仏教ってものに出会って。
 
M:それは何歳ぐらいですか?
 
Y:仏教に出会ったのは、ジャマイカに僕が行っていた頃で、80年代前半ですから、30代半ば過ぎだと思います。
 ずっとジャマイカに居続けていたんですけど、ジャマイカの人たちの宗教はラスタファライという、ジャーという神を信仰する特殊な宗教で、みんなラスタなんですよ。それで、ボブ・マーリーの歌もジミー・クリフの歌も、みんなジャーへの讃歌なんですね。ジャーっていうのは神のことなんですけれども。
 それで、僕はロックキッズとして向こうへ行って、向こうのやつといろいろ話すと、「俺はジャーを信じているラスタファライだ。お前の宗教はなんだ?」っていうふうにしつこく聞かれる。「俺はノー・レリジョン(無宗教)だ」と言うと、「だからお前はバビロンに魂を売るようなダメな人間なんだ。お前は新しいスニーカーを履いているけど、それは金で買ったんだろう。そのスニーカーがダメになったらどうするんだ?」「また新しいのを買うけど」「それを買うためにはまた金がいる。その金を稼ぐためにお前はまたバビロンに魂を売るんだ」と。バビロンというのは、彼らの概念で、聖書に出てくるバビロンに東京やニューヨークやパリやロンドンやいわゆる堕落した都市を重ねて言っているわけですけど。それで、「だから、俺は最初からスニーカーなど買わないんだ」というようなことを言って、ノー・レリジョンというのは非常に評判が悪いんですよ。
 それで、ある時、反射神経的に「俺はブッディスト(仏教徒)だ」というふうに言ったことがあって。まあ、それはあながち嘘ではなくて、僕は浄土宗の幼稚園に通っていたりとか、仏教の花祭りを体験していたりとかあったり。それに、日本人として生きている限り、なんか接点はあるじゃないですか。先祖の墓も仏教だし。それで、「ブッディストだ」というふうに言うと、向こうがにっこり微笑んで、「それはいい。俺はラスタだけど、ブッディズムは好きだ」みたいなことを言って。だけど、「ブッディズムのことはよくわかんないから説明してくれ」と言われて。それで、はったりで言ったんだけれども、意外とちゃんと説明できるんですよね。「釈迦ってのは、知ってるか」みたいに。英語でラスタに仏教のことを説明すると、意外と論理的に説明できる。ただし、限界も感じる。それで、一回日本に帰ってきてまたジャマイカに行く時に、仏教のことをもうちょっと知らないと説明できないなということで、仏教について読むようになったんですよ。それで、最初は何宗とか全然見分けがつかなかったんですけど、釈迦の生涯をトレースし、というようなことをしているうちに、だんだん仏教にはまっていったということですかね。結構すんなりと。


M:なるほど。仏教的な見地からすると、この生まれ変わりの現象というのはどういうふうに考えるんでしょうかね?矛盾するとか、一致するところがあるとか・・。
 
Y:仏教といってもいろんな考え方があって、要するに、仏教というのは、当たり前の話ですけど、輪廻転生が前提なんですよ。輪廻転生から解脱するためにいろんな仏教がある。ところが、面白い仏教があって、それは空海の真言密教なんですけど。今のところ僕が仏教ってこれだよなと思っているのが真言密教なんです。それは実は、いわゆる仏教といっていいかどうかわからないぐらい異質なものなんですね。それはなぜかというと輪廻転生を前提にしていないんですよ。というのは、輪廻転生はあるかもしれないし、ないかもしれないけれども、弘法大師(空海)が入定して、高野山で「俺が全部引き受けるから、全員が即身成仏できるんだ」と。即身成仏というのはこの身このままで成仏できるということです。
 
M:全員というのは日本国民全員ということですか?
 
Y:日本国民全員。それから世界全部。全部俺が引き受けるんだと。それが真言密教なんですよ。
 それで、真言密教のいわゆるトップというのは大日如来なんですけど、大日如来のイメージというのは天照大神(あまてらすおおみかみ)も含まれているんですよ。だから、神仏習合というのは、日本の場合は、相当早くから、しかも意図的になされていて、それでいわゆる天照大神や菩薩やそういうものをトータルにしたのが大日如来ということなんですよね。それで、大日如来というのは実は宇宙の真理であって、具体的な姿を持った仏ではないんですね。宇宙の原理が最高の存在なわけですよ。
 
M:大日如来というのは阿弥陀仏と同じ意味?違うんですか?
 
Y:違うんですよ。
 
M:私が理解している範囲だと、阿弥陀仏がこの世を作って、あとはもう知ったこっちゃないと。それで、観音様を始め他の神様たち、言い方悪いですが、いわゆる部下たちが、あとは一生懸命やっているというイメージがあるんですが・・。大日如来は作るのもやって、そのあとのメンテナンスもやっているんですか?
 
Y:というか、いわゆる偶像的な存在ではなくて、原理そのものなんですよ、大日如来というのは。
神道と仏教がいちばん違うところは、仏教ではいろいろな仏が仏像になっていますよね。ところが、日本における神というのは、姿かたちがないんですよ。まあ、一応、能の世界の翁(おきな)、おじいさんの面が神様的な存在であろうとされているんだけれども、いわゆる神様の像というのは大分あとになるまで作られていない。だけど観音菩薩だったら観音菩薩は、姿かたちがあり、しかもその青年期の男か女か、その美しい姿のままそこにいる。でも、神というのは、姿かたちがないものであると。稀人(まれびと)というぐらいで、稀に、神社なら神社に来て、また帰っていく。だから、神というのは来て帰っていくものなんです。一方、仏というのはそこに座ったものであるという差があるわけですよ。それで、いわゆる稀人としての神の概念を吸収していったのが真言密教の大日如来だろうと思うんですね。それはものすごく科学的だし、ものすごく論理的なものなんです。
 それで、輪廻転生はあるかないかはわからないけれども、それはそこで終わりにするんだという。そういう考え方というのは、それこそヘミシンクのフォーカス35でしたっけ・・フォーカス27・・で輪廻が終わる、いや、そこで輪廻するのか・・。
 
M:そうですね。
 
Y:フォーカス27で輪廻する。35に行くと解脱するわけですよね。そういうのと、真言密教は一致するんですよね。だから、森田さんのこの本(『「私は結果」原因の世界への旅』)を読ませていただいて、これは仏教と同じだなと思ったんです。
 
M:なるほど。私は、仏教はまったく詳しくないんですが、日本のいわゆるお坊さんからよく聞く話を総合して考えるに、私の実家が真言宗だというのもあるかもしれないんですが、私の父も祖母ももう亡くなって10年ぐらい経つんですけど、何回忌とかあるじゃないですか、そのたびに、もうそろそろ生まれ変わっているなんて話はないですよね。お坊さんはそういう話はしないと思うんですよ。もうとにかくみんな仏になってそこにずっといると。そして、私たちも死ぬとそこに行くんだと。次のサイクルを語るお坊さんというのは今のところ私は聞いたことがないので、とすると、日本の仏教というのは輪廻転生をあまり考えていないんじゃないかと。
 チベット仏教なんかはずっとあとから出てきた宗教なので、輪廻転生をいっていますけど、空海が中国に行った頃というのは、チベット仏教ができるずっと前の話で、より釈迦に近いという感じがします。そして、釈迦も「あの世というのはどうなっているんでしょうか」と聞かれた時に、「わからない」と言ったらしいですよね。とすると、わからない世界をどうこう言うんじゃなくて、もうそれは、あの世に行っておしまいだという話になっているのかなと。
 
Y:その仏教の考え方は無記っていうんですよね。無い記録の記と書いて。
 
M:ええ。
 
Y:神がいるかいないか、それは問わないと。それはどういう意味かというと、火事が起きている家に人間が残されていると。仏陀が、神がいるかいないかという議論をバラモンの学者に吹っかけられた時に答えたそうなんですが、「あなた方は火事が起きている家の中にいる人のようである。火事が起きているのだから何はともあれ逃げなければいけないのに、この火の出元はどこだろうかとか、そもそも火とは何だろうかとか、そんなことを考えている。私は、衆生を救うのが目的で、人々を火事の現場から逃がすのが先なのだ」と。だから、神がいるかいないか、それは問わない。火事の原因は問わない。それを無記というんですね。そういう意味では仏教というのはものすごく合理的なものだろうと思います。
 ただ、輪廻転生の考え方そのものというのは、仏教の前からインドにずっとあったわけで、それをそのまま釈迦が引き継いでいったんだろうと思うんですよ。それで、そこはだから、僕も触れない、輪廻転生は置いておく。するかしないかはわからないと。ずっとそういうふうに考えてきたわけです。むしろネガティブだったんですよ。でも、森田さんのこの本(『生まれ変わりの村①』)を読んだら、信じざるを得ないような(笑)。ああ、そうなんだ、輪廻ってあるんだ・・と。


Y:ただ、ここは特殊だと思いますけどね。つまり、同じ村とか、あるいはその近郊で生まれ変わるんですよね?
 
M:そうですね。
 
Y:しかも、神道のほうでは、死んでから次に生まれ変わるまでに250年かかるというらしいですけど、これはすぐですもんね。
 
M:平均したんですけど、1年9ヶ月です。
 
Y:これは、だからすごいよね・・。
 
M:まあ、そういう意味では、調査はやりやすいですよね。250年経ってしまったら、前世の場所に行ってもみんな忘れちゃってますからね。だから、実験的に作られているのか・・。もし、時空や神がいたとすれば。
 
Y:輪廻転生のサイクルがものすごく早いということと、限られたエリアであるということ、あと、因果応報がないということ、そこがすごく特殊ですごいなぁと。これを読んだら、もう信じざるを得ないですよね。だから、こういうことはあるんだということを前提に、じゃあ、世界というものは本来どうなっているんだということを再構築せざるを得ないなというふうに思いました。
 それで、空海がいっている真言密教の考え方とヘミシンクの世界観というのはほぼイコールなんですよね。僕はそう思います。それで、空海は即身成仏だと言っているわけで、それは27から35へ行けと言っているようなことでしょう。そこは一致するんですけど。でも、生まれ変わりの村の情報だけ、だから違うんだなぁと思いました。
あと、中国の超能力者の話はすごいですね。
 
M:あはは(笑)
 
Y:煮豆から芽が出ちゃったり、エビが生き返っちゃったり・・。ああいうことって、あるんだねぇ。
 
M:ですね。赤りんごが青りんごに変わったり。もう何度も見ているんですけど。蘇生、不思議ですよ、本当に。
 
Y:なんでそんなことが可能なのか・・
 
M:ゆで卵が生卵になったりですね。
 
Y:あと、切った葉っぱがもと通りになったりね。それで、僕がすごくいいなと思ったのは、森田さんがあくまでも疑ってかかっているじゃないですか。発信機なんかでも。だから、その姿勢がすごく親近感が持てるというか。これはマジックじゃないのかというふうにアプローチしていくところが、すごくいいなと思って。

 

Y:それで、話が前後しちゃうんですけど、発信機は別の次元に行ったんじゃないかって書いていましたよね。そうなるはずだから、自分は恐くなかったと。あそこはあの本(『「私は結果」原因の世界への旅』)の中でも感動的なシーンなんですけど、昔よく神隠しというのがあちこちであったじゃないですか。
 
M:そうですか。
 
Y:神隠しという言葉があり、いなくなっちゃう人がいる・・日本の歴史の中でね。それで、それってあり得るだろうと僕はずっと思っていたんです。その神隠しなんかもたぶんすっと別の次元に、あるいは、もう少し言うなら別の宇宙へ行っちゃったんじゃないかなという感じがします。だから、今のところ僕が到達した漠然としたイメージは、我々が、変性意識じゃなくて通常の意識で生きている時空というのは、三次元プラス時間ですけど、そっちのほうがむしろ特殊な世界で、もっと広大な別の宇宙がいっぱいあって、別の次元がいっぱいあって、それはすごく遠くにあるんじゃなくて、ここに接してあるんじゃないかなというイメージですよね。それで、なんかの拍子に、それがすっと開くことがあって、そこへ行っちゃうことがあるし、また戻ってくることもある。だから、あの発信機というのは、踵(きびす)を接するくらい近いところ、あるいはもしかしたら僕らの内面にある別次元にすっと行って、戻ってきたんじゃないかなと。我々が日常と考えているものは揺るぎないものではなくて、実はこっちのほうが特殊で、もっと普遍的な世界がその周りに広がっているんじゃないかなと。そういうイメージかな。
 
M:その一つにあの世があると・・。
 
Y:そう思います。
 
M:生まれ変わりの村を調査していると、あの世とこの世の切れ目がないという感じがするんですよ。みんな何の違和感もなく、あの世に入っていきますよね。何の違和感もなく、本当にコンビニに行くような感じで、あの世からこの世にまた帰ってきたりしているというのが、どうしてなんだろうと思いますよね。だって、人間が死ぬというのは、ものすごく大きなイベントじゃないですか。でも、本人たちにとってはなんでもないわけですよね。
 
Y:その周りの人たちもそうなの? つまり、生まれ変わりをした人だけじゃなくて、周りの人たちも、「あいつ、死んだけど、次はどこに生まれ変わるんだろうな」って、そういう感じなんですか、その村は?
 
M:いや、そうでもないです。生まれ変わりの人の人口比率はそれほど高くないし、ネットワーク化もされていないから、情報は全然行き来されてないですね。だから、インタビューに行くと、みんな自分だけの特殊現象だと思っているんです。例えば、喋ることで頭痛が起こるとか、みんなそうだって言うと、結構みんなホッとするんですよ。だから、『生まれ変わりの村①』を一番読みたがっているのが、取材をされた人たちだと思います。他の人たちがいったいどういう世界に行ったのかを知りたいと言っていますね。

 

M:あと、一貫してみんなが言うことが、あの世に太陽がないということです。それから、ワンピースのような服を支給されて着ていると。太陽がないというと、太陽系でないのか・・別の世界かもしれないですけど。でも、ワンピースってスカートですよね。それが広がらないということは重力があるわけじゃないですか。太陽がなくて、重力があると・・。あとは、火を見た人がいたり、地球に非常に似ているとか。それから、証言はあとから出てくるんですけど、動物がミニチュアでいるんです。犬が10cm~20cmで小さいんです。
 
Y:それは一人じゃなくて、共通しているんですか?
 
M:みんなそう言うんです。『生まれ変わりの村①』に出したのが20数例なんですけど、84例集めると、ほとんど一致しているんです。それから、よく言われるように、川があるんですけど、不思議なことに、渡ってもみんな足が濡れないんです。それはおばけだからって言ったらおしまいなんですけど(笑)。でも、スープは温かかったとか・・。
 
Y:スープを飲む、飲まないで、変わるわけですよね。
 
M:ええ、そうなんですけど、いわゆる忘却のスープじゃなくて、普通の食事のほうのスープは、温かかったという人もいれば、具が入っていたという人もいて。でも、具はいったい植物だったのかという話があって、もし植物だとすれば、生態系はどうなっているんだということになるんですけど、死後の世界じゃないですか。そこでまた生物が・・牛肉を作っているかどうか知らないですけど、そこでまた死が発生するというのはどういうことなんだろうと、複雑な気持ちになるんですけどね。だから、あの世はいったいどこにあるんだって。


Y:それは森田さんが体験されたヘミシンクの世界とも違うの? 例えば、フォーカス27とか35とかというところと、死後の世界というのは一致しないの?
 
M:接点はあまりないですね。ただ、生まれ変わりの村でも、同じように幽体離脱をたまたましちゃったという人がいるんですけど、同じことを言うんです。フォーカス27みたいな世界があったと。そんな単語は使わないですけどね。生まれ変わりの村というのは、そんなヘミシンクの世界観を持っていないじゃないですか。だから、もっと現実的にあの世があってという、もっとドロドロした世界を喋るんだろうと思えば、幽体離脱した人は一貫してやっぱりフォーカス27のような世界を喋るんです。だから、特殊現象でもないんです。絶対どこかに一致する点があると思うんです。
 
Y:僕も、そこが一致するはずだろうなぁとずっと思っていて・・。もっと言うと、僕がドラッグでハイになって行ったところと一致するはずなんですよね。
 それで、フォーカス27というような意識状態で、生まれ変わりをするわけじゃないですか。そうすると、生まれ変わりの村の人たちは、なぜかわからないけれど、フォーカス27以前の世界にとどまらないで、フォーカス27に行っているわけですよ。
 
M:そうかしら・・。
 
Y:違うの? そこが聞きたいところなんだけど。
 
M:難しいところはありますよね(笑)。フォーカス27・・このヘミシンクの世界だと、私は自殺した人を救うということをやらされたんです。それが脳内現象かどうかは別として、いわゆるフォーカス21とかにいたわけですよね、別の世界に。でも、私は自殺した人を5人取材しているんですけど、みんな同じところに行っているんですよ。みんながいる場所に。だから、フォーカス21じゃなくて、自殺しようが何しようが、みんないきなり同じところに行くんです。
 
Y:27に行くわけだ。
 
M:そうなんですよ。それがだから、こう言っては失礼ですけど、彼ら中国人と、アメリカ人や日本人との価値観の違いというのがどこかであるかもしれないですけどね。山川さんも道教に興味があるようなことを読んだことがありますが・・。
 
Y:ええ、そうなんでよ。
 
M:道教というのは、意外と広いですよね。自然のままに生きようというか。老子でしたっけ、無為自然といっていまして、頂上に登るなと。無意識の世界で生きなさいみたいな感じなんで、そうすると、価値観を少し否定しているようなところがあって、そして、中国人はもともと道教が根付いているから、何したっていいんだというのがどこかでありますよね。そういう価値観のもとで、27に行っちゃっている可能性はなきにしもあらずなんですが・・。
 
Y:ただ、日本も道教的なベースが拭いがたくあって、道教というのは老荘の前に、民間の習俗としてあったわけですよ。田植えをどうするかとか、子供をどうおぶったらいいか、魚をどう取ったらいいかというような生活習俗が道教だったんだろうと思うんです。それで、その呪術に長けていたのが、例えば、卑弥呼だったりして。これはもう釈迦に説法になっちゃうんですけど、今のMacintosh(マッキントッシュ)のベースって、UNIX(ユニックス)じゃないですか。あれが道教なんですよ、日本でいうと。
 
M:なるほど(笑)。
 
Y:さらに、MacOSXが乗っていますよね。MacOSXが神道と仏教です。それが神仏習合です。その上にある個々のアプリケーションが、その後入ってきたキリスト教であり、朱子学であり、陽明学であり、いわゆる現代の哲学ですよ。だから、UNIXは道教だと思うんですよね。
 
M:つまり、どんな考え方も受け入れられるというか包含できるわけですね。
 
Y:そうです。なので、UNIXがそうであるように、道教というものが排他的なものではなくて、全部受け入れるものだったから、神仏習合が可能になり・・ということじゃないかなと。だから、日本人もたぶんものすごく道教的だろうとは思うんですけど。


M:生まれ変わりの村でも84人の中に、例えばキリスト教徒とかがいれば非常に面白かったんですけど、今のところはまだ出会っていないんですね。一人、仏教を一生懸命修行していた信者さんがいて、その人は生まれた途端に殺されそうになったという人ですよね。まあ、その人ぐらいで、他はこれといって何か宗教を信じているわけじゃないという感じで。
 あと、もう一つ感じるのは、よく宇宙飛行士が宇宙に行くと、神に目覚めるとか、宗教チックになっているような人が多いですよね。
 
Y:立花隆の『宇宙からの帰還』(中公文庫)というのをだいぶ昔に読んで衝撃を受けた記憶はありますけど、そうみたいですね。
 
M:ただ、生まれ変わりの村の生まれ変わっちゃった人たちというのは、宗教に入っていくかといえば、まったく逆の方向ですね。むしろ、今まで仏教を信じていた人がもういいやみたいな感じで。
 
Y:どうせ生まれ変わるんだからというような。
 
M:ええ(笑)。

Y:なんでこの村に出会ったんですか?
 
M:偶然です。
 
Y:中国人の友達が教えてくれたんですか?「こんなところがあるんだよ」みたいに。
 
M:偶然ですべて行われているんですけど、中国に最初に行く日の何週間か前に中国の新聞に広告を出したんですね。「不思議現象求む」って。そうしたら、その広告を見て、考古学者が私の部屋を訪ねてきて。そして、その人と約5、6年、旅をしているときに、「私の村の近所に生まれ変わりの人が多いんですけど、来ませんか」という話になったんです。だから、まったく偶然なんです。私はもともと誰も知り合いがいなかったんですけど、広告を出してからスタートしていったんです。
 
Y:まあ、でも、森田さんの考え方でいうと全部決まっているわけだからね。
 
M:そうですね(笑)。


M:あとは、ルーツに興味がないこともないんです。例えば、山川さんという人が誕生したのは、お父さんとお母さんがいて、セックスして誕生したと。普通はそこがルーツじゃないですか、「私」の。でも、それは肉体のルーツであって、魂のルーツというのは、生まれ変わりの村からいえば、もっと前ですよね。生まれ変わりの村の人たちがどうして前世の親に会いに行きたがるかといえば、大きな原因の一つがルーツだからなんじゃないかという気がして仕方ないんです。つまり、そこから前の記憶を持っていないんですね。前々世の記憶まで持っている人はみんな前々世の家まで行くんですよ。とすると、そこで「私」は生まれたんだと。「私」を作ったのはこの親じゃなくて、前世あるいは前々世の親だと思って、ルーツ探しの旅が一つの前世を追う旅になっているような気がして仕方がなくて。でも、もっと突き詰めていけば、「私」というのは宇宙誕生と同時にできたのかどうか・・。不思議なことに、生まれ変わりの村の人たちは、「私」という視点だけは同じだと言います。男から女になって、性格が全く変わっても、どうして「私」は「私」なんだろうと。だから、「私」という視点も不思議だなと。どう思いますか?なぜ山川さんは山川さんなのか?
 
Y:僕は文科系なので、宇宙論とかたぶん森田さんより遅いんですけど、最初にアインシュタインの相対性理論を読んだのが、いくつの時だったか忘れたけど、すごい衝撃を受けたんです。どこに衝撃を受けたかというと、つまり、時間というものがシリアルじゃないという考え方ですよね。僕は、時間というものはシリアルなもので、パイプラインを通り抜けるように人間は生きていくんだと思っていたんです。ところが、アインシュタインの相対性理論によると、それはそうじゃないんだと。場なんだと。時空というのは密接につながり合っているんだと。まずはそこを読むわけですよ。アインシュタインが完全に正しいかどうかというのは、今になってみると修正しなきゃならないところがたくさんあると思いますけど、ただ、アインシュタインの時間の概念というものに僕が受けた衝撃というのはもう消しようがなくて。その観点からいうと、前世というのがシリアルな時間の彼方にあるかどうかはわからないじゃないですか。要するに、同時進行しているかもしれないですよね。そういう宇宙イメージ。そういうコスモロジーが僕の中で育っていて・・。だから、僕の前世が3つあるとしますよね、本当はもっとあるのかもしれないけど。そうすると、江戸時代、鎌倉時代、平安時代に僕が生きていたとして、その前世の僕というのは、過去の僕なんじゃなくて、同時進行もあり得るんじゃないかと。
 
M:それについては、私のデータではないのですが、『前世を記憶する子供たち』(日本教文社)というイアン・スティーヴンソンが書いた本がありまして、彼は2000の事例を集めているんですが、本に書かなかったごみデータの中にそういう記述があるんです。どういうことかというと、私は誰々の生まれ変わりと主張しているくせに、その人が生まれたときに前世の人はまだ死んでいないんですね。その例が30例ぐらいあるんですよ。それから、幽体離脱をしたモンローさんも、もう一人の私がいると書いていますよね。
 
Y:あ、それ、坂本の本で読んだ。
 
M:ええ。それで、恐くて会いに行けないと。もう一人の私は、死んでから会いに行くんだと。つまり、ダブルで違う国にいて、違う経験をしていて。そのほうが合理的じゃないですか。同時進行できるから(笑)。それで、死んで初めて、「お前、どういう一生を送ってきたんだ」と。要するに、アメリカで一生を送ればこういう人生なんだけど、たまたまアフリカに生まれちゃったらこういう人生を送っているというように。同じ人でも環境が違えばこんなふうになるというように、同時にデータをとっているんじゃないかとモンローさんは言っていますよね。まあ、それはだから、同時進行みたいな。さっきの『前世を記憶する子供たち』の例にしても、まだ死んでいないのに生まれ変わりだと。
 
Y:だから、我々は三次元+時間の世界を生きているので、時間の考え方というものに縛られがちなんだけれども、そこを一回外してみないとダメだよね。
 問題を整理すると、まず、人間というのは肉体だけで生きているのではないと。もっと言うと、人間は脳だけで生きているのではない。例えば、心臓移植すると、移植された心臓の持ち主の記憶を持っちゃう例というのがありますよね。心臓に何かしらの情報が込められていて、それがこっちの心臓に入って、ドナーの情報をもらっているわけですよ、だから記憶があると。それで、他にいい言葉がないので魂という言葉を使いますが、魂というものは肉体と別にある。その魂というのは情報である。情報が何かしらの形で継続していくんだということですよね。だから、例えば、コンピュータが二台あるとして、AのMacのハードディスクを全部コピーして、BのMacに移して起動して、Aのハードディスクはすべて消去すると。そうすると、AとBのどちらがもとのMacかというと、Bのほうじゃないですか。というふうに、魂という情報はまず確実にあるんだろうというのがスタート地点ですよね。
 第二段階として、三次元+時間のこの日常生活の場だけが世界ではないんだ、そこだけが宇宙ではないんだ、どうやらそこだけではないらしいということです。それはドラッグをやって行く世界、ヘミシンクで行く世界、生まれ変わりで行く世界、神隠しで行っちゃう世界、森田さんの本の中で発信機が行っちゃった世界、そういうようなコスモスというのがあるんだろうと。これが第二段階ですよね。
 第三段階は、実はそのコスモスというのは、はるか何万光年の彼方じゃなくて、どうも我々と踵を接して身近にあるらしいということですよね。だから、下手するとふっと入ってしまう。それは昔から言われている神隠しであったりというようなことだろうと思うんですね。あるいは、死後体験まではいかないけれども臨死体験なんかもそうですよね。三途の川のところまで行って戻ってきたという話はいっぱいあるわけで、それはたぶん別のコスモスを垣間見て帰ってきた。だから、人間は死ぬことで、すっとそっちに行くんだと。そこがたぶん第三段階で・・。その次は何だろう。問題を整理しなきゃいけないのは・・。


M:あの、横槍を入れちゃっていいですか。さっきのドナーの問題で・・、魂はいつ入るのかというのがずっと疑問だったんですよ。精子と卵子が合体する瞬間だというのが一般的に言われていて、お腹の中に身ごもっているときには魂は入っていると思われていますよね。だから、いい音楽を聞かせたりいろんなことをやったりするといいよと言われて・・。胎教というんですか。そういうのがもてはやされていますよね。でも、生まれ変わりの村の証言によると、魂が入るのは本当に生まれ変わる瞬間なんですね。お母さんが臨月で、出産するところを、魂が外から見ていることもあるんですよ。そして、生まれ出る瞬間に入っているので、そうすると、いくら胎教をやっても無駄だよという話で。でも、今の山川さんの話を聞いていて、そんなことはないんじゃないかと思ったのは、心臓だって記憶を持っちゃっているとすると、もしかするとこれから生まれるお母さんとの間にもう接点ができているとすれば、お母さんの肉体がキャッチしていた情報を、魂も中に入って受けるか、もしくは、どこからかネットワークで受けるか知らないですけれども、前もって受けている可能性はありますよね。と、今思いました。だから、胎教もこれによって否定されないかなと。
 『生まれ変わりの村①』には出てこないんですけれど、70人目ぐらいの事例なんですが、あの世に行って、沼みたいなところに入っちゃった女性がいて、その人が足を引っ張られるんです、沼の中で。あの世で、ですよ。それで、「きゃ~、助けて~」と、あの世で叫ぶんです。それで、時間が経っていくと、この世でお産婆さんが逆子の足を引っ張っていたんです。それで、自分は今、赤ちゃんになって生まれていると気づくんですね。だから、お産婆さんの手があの世に行っちゃっているという感じになるんですが(笑)。
 
Y:それはあり得る話だと僕は思うなぁ。つまり、もう一つの世界というのは、はるか彼方ではなくて、我々が住んでいるこの日常と接しているわけだから、それはあり得る話だと思います。
 
M:あと、さっきの仏教の話で、仏教では「縁」という言葉がよく出てきますよね。縁があればとか言って。縁がなければ、救える人も救えないみたいなことを観音様も言っているらしいですけれども。普通ですと、父親が登場するのはセックスする場面だけなんですが、生まれ変わりの村の証言では、特に『生まれ変わりの村③』に出てくるのは、父親に連れられて魂が母親のもとへ行くシーンばかりなんです。なぜかシンクロニシティのように。全然関係ないところにインタビューに行くんですけれども、「どうやって新しいお母さんのところへ行ったんですか」と聞くと、「あの世からこの世へ降りてきて、木の上にとまっていると、何かを担いだおじさんが下を通りかかって、そのおじさんの上にぴょんと飛び乗って運ばれて、その人の家に着いたら妊婦がいた」と。つまり、そのおじさんがお父さんなんです。あるいは、お父さんに引っ張られてずるずる引きずられて行ったりとか。それが何例も何例も続くんです。だから、お父さんが魂を引っ張っていってるんですよ。とすると、お母さんだけじゃなくてお父さんも、システムとしての縁の中に入っているという。それがいつから決まっていたのか、宇宙の始まりから決まっていたのかというのはわからないですけど。
 
女性スタッフ:でも、私の知り合いで、妊娠中に子供が逆子になっちゃった人がいたんですよ。それで、その子が生まれてから、「あの時、お父さんとお母さんは喧嘩してたでしょ」と言われたらしいんです。確かに大喧嘩していたそうです。それで、「だから、僕は抗議のために逆子になったんだよ」と。だから、その時点ではもう魂が入っていたということですよね。
 
Y:そうすると、中国の生まれ変わりの証言で「今、妊婦がいてそこに入った」というのは、これは物語だということになるだろうと思うんですよ。つまり、僕が言いたいのは何かというと・・。
 
M:なるほど、物語と現実というわけですね(笑)。
 
Y:これは言葉によって取材しているわけですよ。たぶん、中国語で聞かれて、それを翻訳して日本語になっていると。それはつまり言語による表現なわけですよ。面白い話があるんですけど、言語の起源って面白くて、日本語ができたから『古事記』が書けたわけじゃないんですよ。反対なんです。それまで言語というのはあやふやなもので、そんなに複雑なものではなかった。文字もないと。そういう中で最初は物語というものを作って、それを語り部が伝えていくわけです。その物語を作るために言語ができていくんです。だから、ホメロスの『オデュッセイア』と『イリアス』みたいなものが先にあって言語ができていく。『古事記』という物語を作るために言語ができていく。そういう発生なんです。そして、物語がその民族の構造を全部決定していくわけです。言語はあとからできる。そういうふうなものなのです。
 これも、中国の一つの村である。そして、話した人は中国語で話している。だから、この人の言語を決定している背景というのが絶対影響するはずなんです。例えば、森田さんがヘミシンクを体験して、これこれこうだったよと。僕がローリング・ストーンズのコンサートを見てきて、これこれこうだったよと。でも、それはあくまでも言語にすぎないじゃないですか。言語で表現するしかない。だから、ノンフィクションであってもこれは物語なんですよ。その民族固有の。この村固有といってもいいし。
 
M:そうすると、解釈ですよね、あることに対する。例えば、もやもやとアメーバーのような不定形のものがあったとして、その不定形のものをパッと見た時に、人によって千差万別に「なんとかを見た」と。人によって違うと思うんですよね。それみたいな感じで、自分の出生のストーリーをこう感じたと言っている可能性は否定できないですね。
 
Y:そうだろうと思う。例えば、海で暮らしている人がアメーバーを見た時に、クラゲみたいだと言うかもしれない。山で暮らしている人はキノコみたいだと言うかもしれない。というふうな差異があると。だから、これは生まれ変わりの世界だから中国とはまったく関係ないようでいて、やっぱり中国のデータなんだよね、きっと。
 
M:ただ、それにしても、クラゲだと言っちゃっていると。本当はキノコだとしても。じゃあ、クラゲとして見てみようと。


M:一方、こういう考え方があって、子供は親を選んでくるとか。あるいは、因果応報の話からいくと、来世を計画してくるとか。だから、こういうことをしたいから日本に生まれてこういう家庭に生まれてという計画書を提出するかどうか知らないですが、計画して、天使みたいな人に認められて、「じゃあ、あそこに行けよ」といわれて降りてくると。いわゆる計画ありきの価値観が一方ではある。私は因果応報もどこかでそれに似ているような気がするんですね。だって、因果応報というのは、これしちゃダメだ、これしたらいいという価値観でもって作られているから、それはいわゆる言語の世界だと思うんです。
 一方、生まれ変わりの村の話からすると、みんな選べていない。親だって行き当たりばったり。生まれるときだって選べない。生まれる時もいきなりくるわけですよね。突然きて、自分の手が小さくなっちゃって、ああ、あの時死んだんだと初めて気づく。
 
Y:そういう話が出ているよね。
 
M:ええ。とすると、選べない人生なのか・・。どうなんでしょうか。
 仏教の考え方からいくと、原因はどこにあるんだと。原因は自分にあるとすれば、自分が計画を立てて、今日はラーメンを食べたいからラーメンを食べた。これは俺の意思で食べたんだと。でも、一方では、それは決まっていたんだよと。決まっていたのを自分でこじつけているだけなんだよと。
 
Y:この『「私は結果」原因の世界への旅』というタイトルそのものがかなり仏教的だと思いますよ。仏教ではそういう考え方をするだろうと思います。
 
M:あと、裁きがない。いわゆるキリスト教だと、天国と地獄があって、どちらに行くかという話があったりする。あるいは、閻魔大王がいて、極楽へ行けるか地獄へ行くかという差があったりする。そうすると、それは誰かが価値を決めないといけないですよね。でも、生まれ変わりの村の証言では、自殺で死んだって天国に行っているし、麻薬の売買をやりたい放題やったって、別に今世に影響ないし。
 
Y:そういう人、出てきましたよね。
 
M:ええ。因果応報は全然ないし。そうすると、価値観のない世界。
 
Y:これは僕自身の本当に個人的な考え方で普遍性も何もないんですけど、僕は、一神教というのは、やっぱり誤謬(ごびゅう)があるだろうと思います。誤謬、誤りですね。というのは、一神教というのは砂漠で生まれているわけですよね。砂漠で、右に行くとオアシスがあるかもしれない、左に行くとわからない。そういうなかで、とりあえずこっちに行くんだというリーダーに従っていかないとこの人たちは全員死ぬわけだよね。だから、仕方なく一神教になったんだというふうに思うんですね。それで、一神教のその後の構造が生まれると、一神教であるがゆえの整合性をどんどん後付けで足していく。聖書というのはそうやって生まれているわけで。ユダヤ教もそうだし、キリスト教もそうだし、イスラム教もそうだし。一神教というのは、ある意図が働いているのだろうと思うんですね。それは砂漠で生まれたから仕方がない面もあると思うんだけど、その世界観はやっぱり人間の意図が働いているから僕は認められないと思っているんですね。
 片や、仏教とかジャイナ教とかヒンズー教とかというのは、インドの辺りで、密林の中に川があるようなところで生まれているわけじゃないですか。そうすると、右に行こうが左に行こうがOKなんですよ。
 
M:なるほど。どっちに行っても生きていけると。
 
Y:こっちに行ったらトラがいるかもしれないし、そっちに行ったら綺麗なお姉ちゃんがいるかもしれない。でも、とりあえず、生きてはいける。仏陀は瞑想するわけですけど、あれを砂漠でやったら三日で死ぬと思うんだよね。でも、アジアなら瞑想する時間がある。そういうなかで多神教が生まれてきて、それがいろんな形で発達していくわけですけど。そこにはキリスト教やイスラム教やユダヤ教の陥ったような誤謬は、僕は少ないだろうと思うんです。だから僕は、仏教はいいなぁと思っていて。レンジが広いというか。だから、輪廻転生の考え方とかすごくちゃんとしている。コスモロジーとして優れているのは仏教で、キリスト教やイスラム教のコスモロジーを信じる気には到底なれないですね。


M:さっき仰った砂漠の話ですけど、宗教というのは自然をどう解釈するかということと非常に関係しているような気がして。これはマイナスのこととして言われるんですけど、日本はごちゃまぜの国だ、なんでもありの国だと言われますよね。それは、日本は自然災害が多くて、台風がよく来たり地震がよく起こったり、こう言ってはなんですが、支離滅裂ですよね。いつ台風がくるかわからない、そうすると、なんでも来いよという、それに身を委ねているしかないというところがあって。だから、川の神様がいたり、なんとかの神様がいたりとごちゃまぜでいいというのができたんじゃないかという気がするんです。だから、一神教のように一つのルールでバシッとやっている人からすると、日本は支離滅裂すぎるんじゃないかといわれる。
 
Y:東アジアは全部そうですよね。つまり、仏教が伝わった東南アジア、中国、それから、朝鮮半島。東アジアというのは全部そうで、とりわけ日本というのは島国で、だから、いわゆる元寇(げんこう)ぐらいじゃないですか、大変だったのは。だから、全部OKだというふうになったんだろうと思いますね。
 それから、やっぱり空海という人はすごくて、それまでは神道があって、旧来の仏教があって、そこで真言密教というものを彼はなぜか知って。あのときに空海は日本の設計図を書いたんだと思うんですね。用意周到に、すごく意図的に、日本の設計図というのをあのときに空海が書いた。もともと空海って、僕は神道の人だと思っているのね。仏教というよりは、修験道のほうに近い。よく日本人はいい加減だから神仏習合になったと言われますけど、それでアメリカ人やヨーロッパ人は我々に「お前ら、シンクレティズムじゃないか、いい加減だ、宗教として遅れている」と言われますが、それはとんでもない間違いで、平安時代に空海がものすごく精密な神仏習合の設計図を書いたんですよ。だから、日本は今までもったんだと思うんです。
 それで、その空海がなんだかんだいっても一番大事だと言っているのが般若心経なんです。般若心経を読むと、今の物理学の最先端じゃないですか。そこまでくるともうここからは宗教になっちゃうんだけど、つまり、宗教を論じるということではなく、信じるか信じないかということになるんだけど、あんなことをなんであんな昔に全部わかったんだっていう。今の量子論の最先端みたいな話じゃないですか。
 
M:般若心経の意味を私は知らないんですが、あれは、例えば、物理の教科書のように、意味を知って、ああ、すごいと。宇宙の原則を知ると。一方では、お経を上げると成仏するとかの効果。どちらなんですか?
 
Y:両方です。般若心経に真言というのがあるんですけど、それは魔術的な言葉なわけですよ。真言というのはその言葉を発することによって、物理的世界に改変を促す言葉なんです。つまり、呪い殺すとか、そちらのほうに近い。それを真言というんですけど、般若心経は後半が真言なんですよ。「羯諦、羯諦、波羅羯諦(ぎゃてい、ぎゃてい、はらぎゃてい)」から以降が真言なんですけど、それまでは物理の教科書なんです。一つにすべてが包含され、一つはすべてなんだという。この葉のしずくに宇宙があるとか、この宇宙には終わりもないし始まりもないとか、この実体は空なんだというような考え方ですよね。
 般若心経の話になると長くなっちゃうんですけど、量子論のニールス・ボーアでしたっけ。ボーアの提示したコペンハーゲン解釈では、観測が行われると、状態を記述する波動関数は一つの状態に収縮しているとする。つまり量子論と相対性理論がぶつかるじゃないですか。その矛盾って解決できないわけですよね。これも釈迦に説法になっちゃいますけど、観測者効果という矛盾は解決できない。つまり、量子は物質の最小単位であり、イロハのイなのに、その挙動が甚だあいまいであると。
 物質というのは、例えばコップを持とうとすると持てるけれども、拡大していくと、原子核というのがあって、その周りを電子が回っている、その距離はすごく遠いわけじゃないですか。東京駅にサッカーボール大の原子核があると、電子というのは浜松辺りを回っている。その時東京駅と浜松の間は無なわけじゃないですか。我々ははっきり身体を持っているようだし、モノははっきり形があるようだけれども、実は中身はがらんどうなのであると。しかし、我々はコップを持つときに、すっと通り抜けないのは、電子がものすごい勢いで回っているから扇風機に指を入れるとパンと弾かれるようなもので、本当は中はからっぽだと。そういうことが、既に般若心経に書いてあるんだよ。


M:お坊さんがお葬式の日にお経をあげますよね。84人の生まれ変わりの事例から統計をとると、22%がこの世を彷徨って生まれ変わっているんですよね。あの世に行かなくて、この世だけで。それは浮遊霊だったり成仏できなかったりということを言われるんですが、その霊たちをあの世に行かせる力は般若心経にはあるのかしら?
 
Y:僕は真言密教を信じているので、それはあると思います。
 
M:なるほど。
 
Y:真言にはそういう力があると思います。逆に言うと、そういう力がないのだとしたら、今までもっていないと思うんですよね。
 
M:そうですね。生まれ変わりの村で、お経をあげてお葬式をやった例が一つもないんですよね。中国はないんですよ。中国から伝わってきたのに、大事なものは全部日本に来ちゃって(笑)。中国では今は一切、仏教的なお葬式はやっていないんですよね。中国共産党が宗教を全部否定しちゃっているということもあるにはあるんですけれども。
 
Y:今の日本の真言宗がちゃんとしているかというと、僕は案外いい加減かもしれないとは思うけれど・・。
 
M:でも、お坊さんの行いがいい加減でも、言葉を正確にお経をあげてくれれば、それでいいっていう(笑)。
 
Y:そう思います。音声というものには、何か力があるんだよね、きっと。
 
M:そうですね。


M:あと、生まれ変わりの村で、私が一つ興味を持っているのは、魂が修行するためにこの世を生きているんだというようなことを仰る人がいるんですけど、魂はいったいどこまで蓄積できるのかという・・。さっき、魂は情報だと仰いましたが、性格は入った肉体で決定されているみたいなんですね。前世ではとても優しかったのに、今世では怒りっぽくなっちゃったとか、前世ではあんなだったのになんで今世ではこうなったのだろうとか。魂がもし性格を持っているのだとしたら、そんなふうに豹変しないじゃないですか。私が森田健として別の肉体に入れば、やっぱり森田健だなってなると思うんですけど(笑)。前世で関係のあった人がその人に会っても、性格が全然違うと言うそうです。そうすると、魂は性格を持っていない。とすると、魂は「私」という視点だけ。だとすると、何も蓄積できない。魂というのは修行して磨くものが何もないんじゃないかという気がするんですが、どうでしょうか(笑)?
 
Y:昔よく、粉末ジュースってありましたよね、子供の頃に。コカコーラのように買ってくるのではなくて、粉を入れて水を入れてかきまぜるとジュースになるという。魂って、その粉だと思うんです。なぜかというと、僕はロックが好きじゃないですか。そうすると、ミック・ジャガーの肉体抜きに、ミック・ジャガーという人はいないわけですよ。あの肉体があってあの声が出るから、ミックはミックでいられる。キース・リチャーズはあの肉体があってあの指があってギターを弾くから、あのサウンドが出せる。
 
M:じゃあ、生まれ変わって、全然別の人になったら・・ 
 
Y:全然別の人になったら、あのギターは弾けないでしょう。あるいは、水泳の北島康介が死んだとして・・北島康介は今、速く泳ぐことで自分のアイデンティティをたもっていて、北京オリンピックに出られる。もし彼が死んで、どこかの肉体に宿ったとして、じゃあ、また水泳をやったらうまいかというと、技術はあるかもしれないけど、恵まれない肉体だったら、あんなに速く泳げないわけじゃないですか。だから、全部肉体だけだという考え方にも問題はあると思うけど、全部魂だけだという考え方にも問題があるだろうなと思いますね。肉体という水に、魂という粉末を溶かしてできたのが、人間というジュースみたいなもので、だから、両方あるだろうと思いますけどね。


M:なるほど。そろそろ時間も押し迫ってきたので、最後に大きな質問なんですが・・、もし因果応報があるとすれば、因果応報でもって人間はステージアップするといえますよね。大日如来でも神様でもなんでもいいんですが、この世を作ったのはそのためだと。子供が大人に成長する感じで、宇宙も成長させていくのだと。それだと、そうか、そうかとわかるわけですよね。だけど、生まれ変わりの村を調査する限りにおいては、因果応報はないと。そして、自殺しようが何しようが、どんないいことをしたって、どんな悪いことをしたって、行くところはみんな天国で、まったく来世に影響を与えていないというふうなことを考えていくと、人間はいったいなんのために生きているのだろうかと。どういうふうに考えますか。
 
Y:ジム・キャロルというアメリカのパンクの詩人がいるんですけど、その人が『バスケットボール・ダイアリーズ』という日記を晶文社から本にしていて、その中にこんなシーンがあるんです。17歳ぐらいの少年が地下鉄に乗ると、前に座った短いスカートの女が足を広げて下着を見せようとする。すごく嫌な感じだ。純粋になりたいと自分は思った。そういうシーンがあって、すごくいいなと僕は思っているんですけど。結局そういうことだと思うんです。人間はいかにイノセント(純粋)になるかということのために、全生涯を費やすんだと思う。
 例えば、子供が絵を描くときに、ものすごくいい絵を描きますよね。3~4歳までは。ところが、これをうまく書こうと思うことによって、どんどんつまらない絵になっていく。そうすると、ピカソやクレーやマティスは、何をしたかというと、子供の線を大人である自分がどうしたら描けるかということに時間を費やしていくわけですよね。ピカソは本当はデッサンがすごくうまくて、ちゃんと描けたのに、それを崩して描いていく。マティスもそうですよ。自分が大人になる過程で失った子供のイノセンスをどう再現するのかということで、彼らは努力するわけです。
 例えば今ここに、4人の人間がいますけど、この4人の人間の誰が、人間としてちゃんとしているのか。それはものすごく簡単にテストの方法がある。LSDを全員でやればいいんですよ。そのときに、例えばAさんが、ものすごくきちんとした人間であると。それで、山川は、すごくだらしがないとかね。あるいは、文学系の本を全部読んでいて、知性的であるとか。4人がこれこれこういう性格だと。それがLSDをやると全部関係なしに飛んじゃうわけですよ。
 もっとわかりやすく言うと、源氏物語の研究を生涯に渡って教えて定年退職した東大の教授と17歳の少年がここにいると。二人がLSDをやると、ものすごい世界に飛ばされる。じゃあ、どちらがこちらの世界に帰ってこられるかというと、それは自分というものがちゃんとある純粋な人が帰ってこられるんですよ。いくら源氏物語の知識があろうが、サイバーエージェントの社長であろうが、帰ってこられるとは限らないわけですよ。それが、魂が学ぶべきことなんだろうと思います。
 
M:だとすると、スープを飲まないといけないですね。というのは、この生まれ変わりの村の人たちの一番やりにくい点は、子供の時から大人なんですよ。もうセックスは知っているし、男と女のことも知っていると。ませた子供で、他の子供と話が合わないから大人と喋るんだと。だって、大人なんだからね。彼らは、40歳で死んでいれば、前世で40年生きていて、生まれた瞬間から41歳ですよ。だから、子供というのはいないですよね。逆に、私のことで言えば、私が高校生のときに持った感動、「物理の方程式はいったい誰が作ったんだ。神様が作ったに違いない」ということも、思わないかもしれないですよね。だって、子供の頃の感動はなくなっちゃうから。そう考えると、面白いですね。とすると、スープを飲んだっていいという話になりますね。山川さんは飲みますか(笑)?
 
Y:僕はねぇ・・この本(『生まれ変わりの村①』)を読んじゃったから、飲まないと思うね。だって、知りたいじゃない。
 それで、もう一つ突っ込んだ話をすると、さっきの話の続きですけど、アインシュタインの相対性理論に従うんであれば、時間はシリアルなものではない。そうすると、過去世があるとしても、それは同時進行している可能性がある。それから、モンローが言ったように、今この時に別の自分もいるかもしれない。じゃあ、そこをどう連絡をとるのか、それを発見したのが僕はユングだと思っています。ユングの集合的無意識ってあるじゃないですか、あれがそれなんだよ、たぶん。ユングが集合的無意識と表現した領域へ行くと、そこのいろんな自分とつながれると。それで、ユングがまずアクセスしたのは、ユングのいろんな過去世だったり、来世だったり・・その集合的無意識にたぶんアクセスしたんだと思う。それで、この集合的無意識というのは、森田さんの集合的無意識、山川の集合的無意識・・というのがあって、これもたぶんネットワーク化されているんですよ。だから、そこにアクセスすることによって、ある情報を得られるのかなぁと。
 
M:なるほど。ちょっとさっきの子供の話にかえりますけど、私は仙人修行というのをやったことがあって、仙人になるためには子供に還らなければいけないと言われるんですね。環童功といって、5歳の時の自分の写真を飾って、その下で瞑想をするんですよ。先に進むんじゃなくて、身も心も5歳の時の感じになって目を開くという修行をやるんです。つまり、老人になって完成するんじゃなくて、戻りなさい、ということなんです。
 あと、もう一つは、一般的に人間の寿命は100年以下で短いと。それは、長くなってしまうと競争力が減るからだという学説があるんですね。なぜかというと、老人ばかりになると環境の変化に適応できないわけですね。昔の知識ばかり出してきて、こうすべきだ、ああすべきだと言って、なんかわかったような口をきいて、「今の若者は・・」と批判するわけですよね。でも、その「今の若者は・・」と批判されるべき若者が登場しているからこそ、この地球上の環境にどんどん適応していって人類は滅亡しないでいられるのだと。だから、寿命が長くなってしまうとその動物は滅んでしまうという学説があるとすれば・・。
 
Y:じゃあ、ヤバイじゃない、人間は。
 
M:そうなんですよ。だとすると、この生まれ変わりの村の現象が世界中に拡がるためには、子供心をいつも持っているような人類にならないとダメかなという気がしますよね。知ったようなことを言うんじゃなくて(笑)。
 

Y:5月にうちで坂本政道さんの本を出すんですけど、『楽園実現か天変地異か 2012年に何が起こるか』というタイトルで、彼がずっと言っていることの結論みたいな話なんです。2012年までに知的生命体からスーパーラブが流れ込んできて、そこで人間が覚醒すれば楽園になると。そうでなければ天変地異とかが起こって、半分の人間は死に・・というような本なんですよ。それで、坂本政道さんとは何のつながりもない、暁玲華(あかつき れいか)さんという古神道の研究家の本も出すんですけど、暁玲華さんも、2012年までに、鳳凰が富士山から飛び立って、日本全国に鳳凰の金の粉がまかれて、大地が浄化されるというようなことを言っていて、一致しているんですよ。
 
M:私はずっとSFマガジンというのを読んでいまして、SFマガジンというのはいつも年間投票でどれが一番面白いかというのを決めるんですが、それで、いつも1位になるのが、この間亡くなったアーサー・C・クラークの『幼年期の終り』(ハヤカワ文庫)という本だったんです。これって、あまりヒットしていないんですが、どういう内容かというと、2011年ごろに人間はいつでも幽体離脱できるようになると。つまり、肉体に固執しない人間になるんだというのを、アーサー・C・クラークが書いているんです。今の我々はいわゆる幼年期なんだと。なぜかというと、肉体に固執しているから。だから、最後のほうは超能力が出てくるんです。
 
Y:森田さんはヘミシンクもオーソリティで、生まれ変わりの村も取材されて、坂本よりレンジが広いじゃないですか。そういう立場から、坂本の説をどう思いますか? 2012年にスーパーラブがきてという・・。
 
M:『運命におまかせ』を出す少し前に、『運命を変える未来からの情報』(講談社)という本を書いていまして、それの最後にそのことも書いているんですよ。トラさんという私の占いの師匠と一緒に、2012年のアセンションはいったいどうなるかというのをコインを振って分析したんです。そうしたら、天照大神が岩戸に隠れちゃうようなことが起こるんだけれども、そこでどうすればいいかといったら、ストリップを踊るような神様が出てきますよね。そういう感じに、この世を楽しくして、もう一度天照大神を外に出すような行為が起こると。それで、地球がステージアップするかどうかはわからないですけれども(笑)、そんなようなことを私はあとがきのところで書いているんです。だから、坂本さんの説も、決して否定はできないですね。



楽園実現か天変地異か―2012年に何が起こるか / 坂本 政道 (著) / 1,575円


Y:あと、コインを振ってというあの占いは、どういうものなんですか? すごい確率で当たるんでしょ?
 
M:そうなんです。ユングもやっていまして・・
 
Y:ユングがはまったという話だよね。
 
M:そうです。六爻占術といいまして、3枚のコインを6回振るんですけれども、その陰陽をみるんです。一般的に、陽は過去で、陰が未来なんです。それで、裏(陰)の枚数でもって、陰陽五行の計算をしていくと、すごくよく当たるんです。恐いくらいに。 
 
Y:それで、株で大儲けしたんだよね。
 
M:そうです。
 
Y:億単位、儲けたんだっけ?
 
M:私は20年間社長をやってきて、3000万円しかたまっていなかったんですけれども、それをいつも会社に貸し出さなきゃいけないとかあって。その3000万円を全部つぎ込んで、半年で8倍になったんですよ。それから2年後に5億円になっちゃったんです。それで、下北沢に150坪の家をキャッシュで建てたんです(笑)。コイン3枚で、ですよ。100円玉3枚でいいんです。
 
Y:それって、誰でもできるの? 霊能力のある人がやるわけじゃないの?
 
M:凡人でいいんです。うちの妻だってよく振っていますよ。
 
Y:それは計算の方式があるわけ?
 
M:あります。それを見つけた人は、2000年前にいた京房(けいぼう)という中国人なんですが、その人は皇帝に殺されてしまったんです。全部わかってしまったから。でも、自分の死ぬ日まで全部書いてあって、それを友達に託したんです。そして、それは長いこと封印されていて、それを、私が知り合ったトラさんという考古学者が見つけたんです。
 
Y:森田さんは自分の死ぬ日を知っているんだよね。
 
M:そう、知っています(笑)。まだ、時間があるからいいんですけどね。
 
Y:それは恐ろしいよな。
 
M:でも、ユングは、未来に起こることとコインの裏表がなぜ一致するのだろうかといって、シンクロニシティという概念を考え出したといいますよね。チューリッヒ湖のほとりで、一人でコインを振っていろいろ占っていたと。でも、それで学界を追われてしまったらしいですけど。
 それで、私は運命論者になってしまったんです。全部決まっているんだと。
 
Y:決まっているんですかね、やっぱり。
 
M:決まっているんですよ。だから、今日、ここに来ることも決まっているはずなんです(笑)。縁で。その縁を誰が作ったかといったら、仏様が作ったか、誰が作ったか、わからないんですが・・。でも、変えられるんです。自分の行いを変えても何も変わらないんですが、外側を変えるんですよ。変な話ですけど、何かの置物を置いたりして。
 またその話は、機会がありましたら。どうも今日は、大変素晴らしいお話をありがとうございました。

山川さんの最新刊

リアルファンタジア 2012年以降の世界 / 山川 健一 (著) / 1,400円