竹村健一さんとお会いしてきました
実は竹村さんとお会いするのは二度目です。
最初は9年ほど前、ある講演会で講師をしたときのことです。
駆け出しの私は、講師のトップを切って発表しました。
当時、仙人(道教)を研究していまして、私は「仙人・仙女になるには」という題名で講演しました。
そのとき配布したパンフレットが以下のものです。
ここに全文を出すのは、生まれ変わりの村の調査が始まっていなかったにも関わらず、通じるものを感じるからです。
「仙人・仙女になるには」
不思議研究所 森田健
●不老不死になるには
不老不死になるには、永遠の生命を得る必要があります。
私たちの生命は一見、断続した形に見えます。
なぜ断続的にする必要があるかと言えば、過去が現在の行動を縛ってしまう生き方をしているからです。
ですので生まれるときに、記憶を強制的に消しているのです。
永遠の生命を得るための第一ステップは、過去に縛られない行動ができることです。
このまま地球が不老不死の世界に突入すると、分かった風なことを言う人ばかりが増え、ガチガチの地球になるような気がします。
不老不死の第一ステップは、過去世が戻ってくることだと思います。そしてその過去にとらわれない自分になることです。
●和光混俗
仙人・仙女になるためには三次元の中で暮らしながら光を得ることが必要です。
これを中国の仙人の世界では「和光混俗生活即道」と言います。
悟りはマーケット(市場)の中で起こらなければならないのです。
仙道では四徳があります。
財・・お金
法・・ノウハウ
呂・・異性の友達
地・・不動産
この四つを持っていないと、本当の仙人・仙女にはなれないのです。
これは他の宗教では否定される要素ばかりです。
●山頂を目指さない
中国の導師から
「仙道では山頂を目指さなくても良いのです」
と言われました。
山頂とは、目標のことです。
目標を持たなくても良いのです。
●ワダチに沿って生きよう
人生を車に例えたとき・・の例。
車が右に曲がりました。どうして右に曲がったのでしょうか?
それは右にも道があったから・・が正解なのです。
この場合の道はタオです。
ワダチは一瞬一瞬私たちの目の前に作られます。
それを無視して私たちはハンドルを切ろうといます。
●時間は未来から過去に流れる
この逆はカルマの考え方です。
カルマの概念があると、仙人・仙女にはなれないのです。
●生命は自在なもの
時間は未来から過去に流れるように、自分というものも未来から過去に流れるものと考える。
●例えば、会社は「環境適応業」となる
私の会社はソフトウエアの開発ですが、それは「ソフトの開発を通じて環境に適応するのが仕事」という意味です。
あなたがたの会社は、××業ではありません。
××業である限り、取り残されます。
これからは「環境適応業」が業種です。
●これからの生き方の提案
・人生あきらめも肝心と思うこと。
・実は人は変化しないように努力している。それを手放すことが必要。
・私は誰でもないと思うこと。
・善行をしない、時空に貸しを作らない。
・仙人の修行である房中術はセックスを最高に楽しむ術。セックスを楽しもう。
・道教には愛という単語はない。愛を手放そう。
・いい加減で仕事や追求をやめる能力を持とう
・いやなことは自然に後回しにする能力を持とう
・しなければならないという気持ちに対抗できる能力を持とう。
・努力をやめよう
こういうパンフレットを配布して、私は講演したのです。
私の次の講師は竹村さんでした。
竹村さんは開口一番、
「私の前に講演した人ですが・・」
と言いながら私のパンフレットを出してきました。
会場の一角で聞いていた私は「ああ、斬られる」と思いました。
だって常識に反することばかり喋ってしまったからです。
聴衆も次に何が起こるか、固唾を呑んで見守っていました。
竹村さんは言いました。
「努力をやめよう・・目標は持つな・・。いいことが書いてあるねえ・・」
会場にドッと笑いが起こり、私も安堵のため息をつきました。
竹村さんという人は、何と間口の広い人だろうと思いました。
そのスタンスは今回、一対一で会うときも、まったく変わっていませんでした。
竹村さんは開口一番
「きょうは私の意見を言いたいんじゃない。むしろあなたが調査したことをもっと知りたいんだ」
と言いました。
私は生まれ変わりの村の情報を喋りました。
一息つくと、竹村さんは言いました。
「自殺した人も罪を犯した人も、生まれ変わって幸せに暮らしているのか?」
「はい、そうです・・」
「じゃあ、今まで世間で言われたことは何だったんだろうね・・」
「は・・はい」
「魂が肉体に入るのは、生まれる直前なんだね?」
「はい・・」
「では途中で子どもをおろしても、水子の魂とか、ないってことですか・・」
「はい・・」
「今までの常識とはずいぶんとかけ離れているのだねえ・・」
「はい・・」
質疑はこういう感じで続きました。
ひとつの事実を、ひとつの事実として認識していく姿を見て、竹村さんはやはりすごいと思いました。
最後に竹村さんは、私の書いた「生まれ変わりの村1」の批評をしました。
「この手の本は、信じてもらうことが大事だ。しかし信じてもらいたいという欲求ばかりが前面に出ると、返って信じてもらえなくなる。しかしあなたの本は、あなたというものが前面に出ていない。それで逆に信じられるようになっている」
とても有り難いお言葉をいただいて、私は竹村さんの事務所を後にしました。
先ほどまで降っていた雨が上がり、目の前に広がる日比谷公園の緑が陽に輝いていました。